MID4 Prototype(Ⅰ型/Ⅱ型) | 日産 市販化の夢は叶わず…幻のミッドシップスポーツ

MID4 Prototype(Ⅰ型/Ⅱ型) | 日産 市販化の夢は叶わず…幻のミッドシップスポーツ


■コンセプトカーながらプラモデルになるほど世の中をざわつかせた、日産のスーパーカー
・モデル名 :MID4(Ⅱ型)
・世代/型式:MID4 Ⅱ型プロトタイプ
・メーカー名:日産自動車
・搭載エンジン:2960cc・V型6気筒DOHCツインターボ+インタークーラー
・最高出力 :330ps/6800rpm
・最大トルク:39.0kg.m/3200rpm
・販売時期 :-
・生産台数 :-

1985年と1987年の東京モーターショーで登場したMID4 I型/II型。最大の違いはエンジンの搭載方法。I型では横置きだったものが、II型では縦置き搭載へと変わっている。II 型の独特なデザインであるリアウインドウ後方の出っ張ったものは、後方視界を確保するためエンジン搭載位置を極力下げても張り出してしまった、エンジンのカバーだ。(本稿に掲載の写真はⅡ型)
写真協力:ベストカー

日産MID4 Prototype(Ⅰ型/Ⅱ型)

バブル経済前夜、日本の1980年代はじめ、国内自動車市場でトヨタの後塵を拝していた日産自動車が、ミッドシップスポーツモデルの開発をスタートさせていた。後に発売される「Be-1」などのパイクカー計画の一環として、1.6リッタークラスのライトウエイトスポーツと3リッタークラスの高性能スーパースポーツ2種の開発計画だったという。

日産に吸収合併される以前のプリンス自動車は、「自動車レースは自動車の性能アップを後押しする」という信念のもと、モータースポーツの世界で60年代から「R380」というミッドシップレイアウトを採用するレーシングカーを製作しており、日産による吸収合併後、このレーシングカー開発は日産が引き継いだ。

日産自動車に吸収合併される以前にプリンス自動車が開発したレーシングモデル「R380」

日産首脳「ゴルフバッグが載らないスポーツカーはNG」?

こうした経緯を受けて、最初に市販ミッドシップスポーツを国産メーカーで製品化するのは日産だと思われていた。ところが、ミッドシップの市販車国産第1号は「トヨタMR2」だった。トヨタよりも先行していたはずの冒頭で記した日産の計画だったが、MR2の発売で日産の本気度が増す。

2種のミッドシップ開発計画の中心人物は、スカイラインの開発責任者で有名な櫻井眞一郎。櫻井はR31型スカイラインGTの開発を進めながら、ミッドスポーツを含めた新企画車の原案を練っていたようだ。そのなかの1台が、その後「Be-1」に結実。もう1台が初代マツダRX-7をコンペティターに据えた小型スポーツである。しかし、この小型スポーツ、モックアップが完成して役員会に提案した際に、一部の役員から「ゴルフバッグが積めない」旨のつまらない発言で開発中止となったという、あきれた逸話が残る。

ホンダが発売した、「ゴルフバック2個が積めるスーパーカー」NSX

ミッドシップ四駆スポーツ誕生

一方、3リッターミッドスポーツの開発は継続する。そして出来上がったのが、1985年9月、西独フランクフルトショーで世界初公開された「NISSAN MID4」(通称Ⅰ型)である。

コンセプトは、世界で通用する運動性能を持つグランドツアラーだ。パワーユニットは日産自慢のV型6気筒、VG30E型エンジンをツインカム化した自然吸気エンジンVG30DE型。最高出力は230ps/6000rpm、最大トルク28.5kg.m/4000rpm。これを横置きミッドシップレイアウトで搭載、トラクションに優れる4輪駆動方式を組み合わせた。その4WDシステムは、ビスカスカップリングでセンターデフを差動制御する方式で、システムの製作はオーストリアのシュタイア・プフ社に委託した。

写真はフジミ模型より発売されていた「MID-4 Ⅰ型」のプラモデル(1/24)のパッケージ
市販されていないにも関わらず、モデル化されるほど注目を集めていたのは「童夢-零」同様だ。

角眼2灯のリトラクタブルヘッドランプを採用したフロント回りのデザインが、S13型シルビアの兄弟車「180SX」にも似た造形だったミッドシップスポーツ「MID4」は、翌1986年の東京モーターショーでも公開され、日産の栃木工場のテストコースでは、自動車ジャーナリストや自動車専門誌向けの試乗会も行なわれた。
だが、日産は東京モーターショーで挙がった「MID4、市販化は何時?」との声に応えず、MID4の開発に一旦幕を引く。しかし、第2の試作は既に始まっていた。

「MID4 Ⅱ型」開発に向けた動き……

第2のMID4、つまり後に「MID4 Ⅱ型」とされるモデルは、Ⅰ型のスケールを大きく超える計画だった。開発は櫻井が指名した中安三貴が担当。エンジンをミッドシップ搭載して4WD駆動するという基本レイアウトは踏襲するが、さらなる高性能モデルを目指して300ps超のパワーユニット搭載を画策する。そこで、搭載エンジンは中央研究所が開発したフェアレディZ用のVG30DE型をツインターボ化したVG30DETT型とした。

FR車であるフェアレディZ用のエンジンだから、その搭載方式は必然的に縦置きとなった。このツインターボエンジンの最高出力は330ps/6800rpm、最大トルクが39.0kg.m/3200rpmで、Ⅰ型に比べて圧倒的にパワフルだ。開発陣は、この出力&トルクに耐えるギアボックスは横置きでは無理と判断した。加えて、ギアボックスがリアアクスルの後方にオーバーハング搭載となる縦置きは、前後重量配分が理想に近づく。ちなみに完成したⅡ型の前後重量配分は前40:後60だった。

また、前後のデファレンシャルを結ぶトルクチューブはパワートレーンにリジッドに結合できたことも縦置きレイアウトが可能にした。このリジッド結合で、駆動系の剛性が大きく上がり、トルク変動などによるワインドアップなどを抑えることができた。

4WDのメカニズムは基本的にⅠ型と同じ。センターデフにプラネタリウムギア+ビスカスカップリングを組み合わせた。ビスカスカップリングはフロント&リアデフにもセットされ、LSDとしての機能を果たす。

サスペンションも進化した。Ⅰ型では4輪マクファーソン・ストラット式だった脚は、Ⅱ型で前がツインダンパーのダブルウイッシュボーン式、後が最大変位角2度の4輪操舵システム、日産自慢の「HICAS(ハイキャス)」を組み込んだマルチリンク式となる。タイヤもⅠ型の全輪205/60VR15から前225/55ZR16、後255/50ZR16の前後異径タイヤにアップデートされた。

鋼板、アルミ、CFRP、FRPと4種類の素材を組み合わせたボディもひと回り以上大型化した。ボディ寸法はⅠ型の全長×全幅×全高4150×1770×1200mm/ホイールベース2435mmから、Ⅱ型で4300×1860×1200mm/ホイールベース2540mmと拡大した。

独特なリアウインドウ後方の出っ張った物体は、後方視界を確保するためエンジン搭載位置を極力下げても、張り出してしまったエンジンのカバーだ。

低く構えたボディのコクピットは、まさにGTカーの文法どおり。やや大柄な本革のバケットシートは大きく張り出したショルダーパッドやニーパッドが、ドライバーを包み込む。プロトタイプは、どうやらすべて左ハンドル仕様で、量産型が完成した際のメインとなる市場が北米であることを示唆していた。ステアリングにはチルト機構が備わり、メーターナセルごとチルトする。フェアレディZから流用したとおぼしき3眼メーターの回転計は7000〜7500rpmがゼブラに塗られ、それ以上がレッドゾーンだった。マイル表示の速度計は180マイル/h(280km/h以上)となっていた。

バブル経済の只中、Ⅱ型MID4公開、仮に売れば2000万円超

MID4 Ⅱ型は、日本中がバブル経済を謳歌する真っ只中の1987年、晴海で開催された最後の東京モーターショー「第27回」の日産ブースで、“4WDアテーサ”を搭載した精鋭的な新型ブルーバードSSSなどと共に左ハンドル仕様が展示された。同時に、クローズド・コースを使った自動車専門誌やモータージャーナリスト向けの試乗会も開催した。Ⅰ型に比べて圧倒的な完成度で「いつ発売されるのか?」とⅡ型も話題となる。

MID4計画は当時の日産社長である久米豊のキモ入りだった。が、Ⅱ型プロトタイプは、まだまだ未熟で、完成形の市販量産車まで昇華させるには、ハンドリングや挙動、制動などのダイナミズム性能、感応評価特性、ターボエンジンの熱対策などで、さらに2年以上の試行・熟成が必要とされた。

また、日産の社内的でもMID4 Ⅱ型を市販化するには、車両価格2000万円超となるという試算もあった。フェラーリやランボルギーニなどのイタリアのエキゾティックなスポーツカーメーカーや英国の伝統的で高級なアストンマーティンなどならともかく、せいぜい400万円の4座クーペ「レパード」が上限だった当時の日産にとって、「その5台分の高額車、日産が扱える商品なのか?」という声も上がったという。
しかし、MID4は着実に開発が進んでいたとも伝わる。そんななか、バブル崩壊前の1989年にホンダがミッドシップスポーツ「NSX」を発表、翌1990年に800万円で発売した。その1990年にMID4計画を牽引してきた久米豊が日産を去る。そして、バブル崩壊。プロジェクトは霧散する。

日産ヘリテージコレクションとして保存されている「MID4 Ⅱ型」に添えられるスペックシート

「……たら」「……れば」は、無意味かもしれないが、敢えて言う。もしも「日産MID4を完成させ、市販していたら」、そして「日産開発陣が描いていた夢が叶っていたら」、そのパフォーマンスはNSXを凌駕していたかも知れない。以後、日産のミッドシップスポーツの量産化計画は無い。

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