もともとの始まりはいたずら?
今でこそ認められ、文化のひとつとなっている千社札。神社仏閣を巡るのが好き、なんて人も多い昨今、親しみ深いという人も多いのではないだろうか。
しかし、この千社札、実は起源はとある変人によるいたずらだったことはご存じだろうか?
ことの始まりは江戸時代。当時有名だった奇人・天愚孔平なる人物が寺社を詣でた記念に自分の名前を墨で書いて回っていたらしい。そのうち、墨で書くのが面倒になり、木版ポスターを作って貼るようになったそうだ。なんというか、観光地で落書きしてしまうちょっと残念なカップルや、ヤンキーのような行動である。それが流行してしまうのだから寺社側からすれば当時は大迷惑だったことだろう。
だが、それも文化となってしまえば趣深くも感じるのだから不思議である。
さて、そんな千社札、いまでは貼っても怒られないし、手軽に作ることができる。今なお続くこのちょっぴりいたずらな文化をいくつかご紹介していこう。
いろいろある!千社札

こちらの招き猫が対になっているおしゃれな千社札は、町田さんのお知り合いの方がオリジナルで作ったものらしい。千社札には自分の名前を書くものなので、きっと正吉さんと健さんという人なのだろうと思っておこう。

こちらもやはり正吉と健坊とある。こちらはなんと永六輔さんに依頼して書いてもらったものなのだとか!

こちらは橘右之吉という江戸文字作家の方によるもの。この寄席なんかでも見られるような字体は一度は目にしたことがあるはず。こういうのを江戸文字と呼ぶらしい。

こちらの松尾と書かれた千社札は熱海の福島屋旅館のご主人、松尾さんのオリジナル千社札。本来、千社札はこのように単色のものが好ましいとされている。最近は華やかなカラーのものも多いが、伝統に則った千社札と言えるだろう。

こちらは先程の橘右之吉さんの師匠にあたる、橘右近の大入札。千社札ではないが、江戸文字の歴史を感じられる一枚だ。
なんとも江戸の文化を感じさせる千社札。まだ貼ったことがないという人は次に詣でるときにはチャレンジしてみてはいかがだろうか?
ちなみに、マナーや許可されていない場所なんかもあるので、貼る場合はしっかりご確認をお願いいたします。

ありとあらゆる庶民文化に精通し、膨大なコレクションとエピソードをお持ちの「庶民文化研究所」所長、町田忍さん。 昭和レトロそのもののような町田さんの研究所にお邪魔し、膨大なコレクションから懐かしいアイテムをピックアップ。懐かしいエピソードや知られざる裏話、さらに華麗なる交友録までお届けします。