ガムのロッテからチョコレートのロッテへ。
真っ赤なパッケージが数ある板チョコの中でもひときわ印象的なロッテのガーナミルクチョコレート。今ではすっかり板チョコの代表格である。だが、これまで紹介した森永・明治と比べると実はまだまだ歴史は短いのだ。
もともとロッテと言えばチューイングガム。
チョコレート市場に参入しようと昭和36年ごろからチョコレートの本場、欧米市場の視察を繰り返していたらしい。
そして、海外の技術者を招聘するなど、努力を重ねた末に昭和39(1964)年に誕生したのが、ガーナミルクチョコレートなのである。
味はもちろん納得のいくものになったが、いかんせん後発である。
ガーナミルクチョコレートに注目が集まるようにロッテは大々的な広告戦略に打って出る。
なんと500本を超えるスポットCMを打ったというのだから恐れ入る。
目を引く赤いパッケージも他のチョコレートの差別化を図るために採用されたそうだ。
ちなみに、この赤いパッケージは後に母の日のカーネーションにつながり、母の日ガーナのキャンペーンにつながっていく。
そんな努力の結晶であるガーナミルクチョコレートのパッケージを見ていこう。
細かい努力が光るガーナミルクチョコレートのパッケージ

こちらが昭和39(1964)年発売当時のガーナミルクチョコレートのパッケージ。これだけ真っ赤なパッケージ、そりゃあ目を引くことでしょう。
ちなみにスポットCMと合わせて、女子大生が真っ赤なガーナミルクチョコレートの紙袋を持って街頭で配るというキャンペーンも展開していたらしい。
当時のオヤジはさぞかしドキドキしたことだろう。

ズラリと並んだガーナミルクチョコレートのパッケージ。比較的同じようなデザインで落ち着いているが、時代の変化に合わせて彩度や文字の配置なんかをちょこちょこいじっているらしい。こういう細かい努力も後発ながら地位を確立できた理由なのだろう。

そしてミルクチョコレート以降、ブラックやローストミルクなど味わいに派生が増えていくことになる。右側一番下のセミスイートチョコレートとやらは見たことがないがロッテの社名の由来、若きウェルテルの悩みのシャルロッテを彷彿とさせる。
明治、森永から遅れること40年余り。後発ながらも様々な努力で成り上がったガーナの凄さが少しは伝わっただろうか。いよいよ今週末はバレンタインデーである。ロッテのガーナはもちろん、明治、森永など日本の、昭和の子どもたちのお腹を満足させてきた原点に立ち返ってみてはいかがだろうか?
【バレンタイン特集】明治・森永チョコレート

もうすぐ世の中はバレンタイン。チョコレートの消費量がすごいことになるこの時期らしく、今回はチョコレート特集。小洒落た高級チョコではなく、我々の甘い欲望を叶えてくれた、懐かしい明治・森永のチョコレートパッケージをご紹介!提供はいつものように庶民文化研究の大家 町田忍さんである。

ありとあらゆる庶民文化に精通し、膨大なコレクションとエピソードをお持ちの「庶民文化研究所」所長、町田忍さん。 昭和レトロそのもののような町田さんの研究所にお邪魔し、膨大なコレクションから懐かしいアイテムをピックアップ。懐かしいエピソードや知られざる裏話、さらに華麗なる交友録までお届けします。