【旧車】ブームに遅れてきた悲運のスーパーカー「BMW M1」

【旧車】ブームに遅れてきた悲運のスーパーカー「BMW M1」

1970年代に巻き起こったスーパーカーブーム。当時、集英社の「週刊少年ジャンプ」に連載されていた「サーキットの狼」がその火付け役だったことは多くの人が知るところだろう。では、スーパーカーブームと聞いて思い浮かぶ車種は何だろうか。


スーパーカーブームの中心は、フェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェだった

1970年代に巻き起こったスーパーカーブーム。当時、集英社の「週刊少年ジャンプ」に連載されていた「サーキットの狼」がその火付け役だったことは多くの人が知るところだろう。では、スーパーカーブームと聞いて思い浮かぶ車種は何だろうか。クルマ好きの大人ならば、それぞれの好みでいろいろな車種を列挙していくだろう。一方で当時ブームの主役だった子どもたちにとって、フェラーリ、ランボルギーニ、ポルシェの三大巨頭がその中心であって、それ以外の車種は「詳しい人が知っているクルマ」とか「マニアックなクルマ」という存在だった。多くの場合フェラーリは「512BB」、ランボルギーニは「カウンタック」(さらに言えば派手なエアロパーツをまとったLP500Sが中心)、ポルシェは「911ターボ(930型)」を指すのは言うまでもない。今も当時もドイツ(当時は西ドイツだが)には数多の自動車メーカーがあるにも関わらず、ドイツ勢はポルシェ一択である。現代ならばアウディのR8やBMWのi8のように、イタリアのエキゾチックカーに引けを取らぬスーパースポーツを挙げることは可能だが、当時は本当にポルシェ以外に選択肢はなかったのだろうか?

バイエルン発のミッドシップ・スーパースポーツ

結論から言ってしまえば、“そんなことはない”というのがクルマ好きな諸兄ならば知っていることだろう。1978年(昭和53年)にデビューしたE26型「BMW M1」がそれだ。BMWとして初めてのミッドシップカーで、開発に着手したのは1976年頃と言われる。当時ポルシェの934や935がグループ4および5のレースを席巻しており、それを阻止したいBMWが巻き返しを図るべく企画したモデルである。

グループ5に参戦していた、BMW 3.0CSL(バットモービル)の3.5リットル直6DOHCエンジンをコクピット後方に縦に配置し、その直後にデフとトランスミッションを置くというレイアウトを採用。ホイールベースは長くなるものの重量バランスに優れ、かつドライサンプ化により低重心となり、スーパースポーツらしい運動性能とスタイリングを両立した。ボディデザインはジョルジェット・ジウジアーロが率いるイタルデザインが担当し、ここ西ドイツのバイエルンから、BMW謹製スーパーカーが誕生することとなった。

グループ5に参戦していた、BMW3.0CSL シルエット・フォーミュラとも呼ばれ、人気を博したカテゴリーだ

ブームに遅れてきたM1

BMWにとって初めてのミッドシップカーとなったM1だが、同社は全くの未経験であったためシャシの製作はミッドシップカーに慣れているランボルギーニに委託され、ジャンパオロ・ダラーラが開発を担当することとなった。後年、レーシングカーコンストラクターとして名を馳せ、あのランボルギーニ・ミウラの開発プロジェクト発案者でありシャシ開発担当であった、ダラーラである。1977年(昭和52年)の夏頃には試作車が完成し、さらには開発だけでなく製造もランボルギーニに委託することが合意されており、ここでもスーパーカー界の銀河系軍団が活躍することとなった…はずであった。

ランボルギーニはシャシの製造に着手したものの、その作業は遅々として進まなかったのである。当時、オイルショックの影響などを受け、深刻な経営危機に陥っていたのだ。逆に言うと、ランボルギーニからすればBMWとの協業プロジェクトは起死回生の一手になるはずだったのだ。ところが、ランボルギーニ側の事情で生産準備は遅れに遅れ、一時はBMWがランボルギーニを買収することで事態の解決を図ろうとしたほどだった。だが、この最後の一手も失敗に終わり、ついに業を煮やしたBMWは提携を解除。ランボルギーニは倒産してしまったのだ。そしてM1はドイツのシュトゥットガルト(ポルシェの本社がある都市)にあるバウアー社で生産が行われることとなった。この一連の騒動によりM1のデビューは大幅に遅れ、1978年秋のパリサロンでの発表となった。

総生産台数477台に留まった、悲運のスーパーカー

このような経緯もあり、イタリアとドイツでそれぞれ製造されたコンポーネンツを併用し、中間製品が両国を行き来する複雑な生産工程は、コストを大幅に上昇させることとなった。ライバルと目したポルシェ911ターボ(930型)はおろか、フェラーリのV8モデルよりも高価格になってしまったのだ。さらには、もともと週2台程度と想定していた生産台数も(それでも相当少ないが)実際には月に3~4台程度からのスタートとなってしまい、さらに悪いことに第二次オイルショックにも見舞われてしまう。最初の年に400台を製造し「グループ4/5」のホモロゲーションを獲得するという目論見は不発に終わってしまったが、それでも何とか1980年の暮れに400台の製造を達成。翌1981年にグループ4に参戦が叶ったが、さらに翌1982年にはカテゴリー再編が行われることになり、M1のモータースポーツ参戦はごく短期間で終わることとなってしまった。このためM1は「悲運のスーパーカー」として、今なお語り継がれているのである。

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