そもそもチョコレートのはじまりとは?
もうすぐバレンタイン。老いも若きもチョコレートを頬張る日であり、恋人たちにとってはチョコレートのように甘い日でもある。また、読者のオヤジたちも一年に一度、(義理で)モテる日であろう。しかし、バレンタインが日本で流行りはじめたのは、実は昭和30年代くらいからと、案外その歴史は新しいのだ。町田さんによると、もともと2月は1年で最もチョコレートが売れない月だったそうな。それを払拭するイベントにもってこいということで、菓子組合が販促に利用するためにバレンタインを持ち込んだという話だ。
では、バレンタインの主役であるチョコレートはいつ日本で誕生したのかというと、大正7(1918)年まで遡る。誕生させたのは森永製菓で、記念すべき最初の商品は、「森永ミルクチョコレート」である。
その後、もう一つの巨大なお菓子の会社、明治製菓(現・明治)が大正15(1926)年に「明治ミルクチョコレート」を販売。この2大お菓子企業が誕生したことでチョコレートは日本に広まっていくのである。
ということで、今回はそんな明治、森永、双方のパッケージをご紹介していこう。
町田少年のチョコレートの思い出のはじまり

この1枚は昭和35(1960)年の森永、明治、それぞれのミルクチョコレートのパッケージである。町田さんがチョコレートのパッケージを集めはじめる記念すべきコレクションだ。パッケージを保管した理由は「うれしかったから」。
当時のチョコレートは、今のようにバリエーションもなく、板チョコでも高級品で、たまに買ってもらえる特別なお菓子だったのだ。それが「うれしくて」パッケージを保管していたのだという。
たとえ好きな子からもらったチョコでなくても、包み紙まで愛おしく感じられるほどチョコレートは特別だったのだ!
時代とともに変わっていく明治・森永のパッケージ 明治の場合


まずは明治のパッケージ。1枚目の写真はオヤジにとっては見慣れたロゴマークだろう。昭和30(1955)年にかの有名な亀倉雄策氏が作成し、現・明治ホールディングスに変わるまで使われていたものである。
2枚目は新体制以降新しくなったロゴ。会社の新しい姿勢を表すかのように、パッケージも自由度が増しているように感じられる。
森永の場合

森永の場合は、最も認知されているパッケージがコレだろう。
町田さんが初めて保管した昭和35(1960)年のものも森永の表記自体は大きく変更はない。さすがは大正から続くチョコレート。歴史を重んじているようだ。
だが、もちろんなんの変化もなかったわけではない。

こちらは復刻版のパッケージデザインだが、赤いものは昭和9(1934)年のデザインで、右上の茶色のものは大正7年(1918)年販売当時のデザイン、そして白は大正8(1919)年のデザインのものらしい。こうしてみると、最初のうちはけっこう変遷があったようだ。
お菓子のパッケージにも歴史あり、ということか。
今年のバレンタインは日本のチョコレートの原点である板チョコを久しぶりに再評価してみてはいかがだろうか?

ありとあらゆる庶民文化に精通し、膨大なコレクションとエピソードをお持ちの「庶民文化研究所」所長、町田忍さん。 昭和レトロそのもののような町田さんの研究所にお邪魔し、膨大なコレクションから懐かしいアイテムをピックアップ。懐かしいエピソードや知られざる裏話、さらに華麗なる交友録までお届けします。