ホープ創業者の小野定良は、本田宗一郎とも並んで賞されるユニークな技術者だった

・モデル名 :ホープスター(SU型)
・メーカー名:ホープ自動車
・年式 :1958
・撮影場所 :お台場旧車天国2017
・撮影者 :会長
ホープはまさに、軽オート三輪トラックの希望の星だった

小型自動車の修理工場や当時のオート三輪大手・東洋工業(マツダ)で修業ののち、旧陸軍自動車部隊や機甲整備学校などで活躍した小野定良が、戦後それまでに培った技術で小型三輪トラック制作のため昭和26年に設立した個人商店、「ホープ商会」。
すでに当時「三輪トラック」は多数製造されていて、大型化が進んでいた。
三輪トラックはその簡便さにもメリットがあったのだが、輸送力の強化や効率化なども考えるとどうしても大型化してしまう。
だが、市街地の狭い路地での使用や、個人商店や小規模工場などが業務で使うには大きく高価になりすぎてしまっていた。
2年前に制定された軽自動車規格をもちい、このちょうどぽっかり空いてしまったニーズに応えるマイクロ・トランスポーターを実現しようと考え、ホープ商会が設立されたのだった。

ホープの開発した新しいトランスポーター、軽オート三輪。
昭和27年の発売に先駆け、ホープ自動車に改組。文字通り希望の星として、「ホープスター」と名付けられた。
初期型のSUは旧来のオートバイゆずりのバーハンドル、後期型のSYは丸型ハンドルだ。
ホープスターのようなスタイリングの小型オート三輪は戦前にもいくつかあった。
だがホープスターは、それらのようなリヤカー然としたパイプ組みの荷台やバイク丸出しのチェーン駆動(たいがいは、後ろ2輪のうち片方だけを駆動するものだった)ではなく、当時大型化が進んでいた三輪トラック同様にチャンネルフレームやシャフトドライブを導入した本格派だった。
それもあって、あらゆる過酷な使用状況にも耐えることができ、ホープ自動車の信頼性を高めることにもつながった。
またホープスターの特徴のひとつに、既存各メーカーが開発したパーツを組み合わせて作られていることがある。要するに、他社パーツを使う前提で設計がされていたのだ。
これは部品の品質担保を容易にしたり、部品開発の労力を抑えるという狙いもあったろう。だが結果的にこれが「どこでも部品が容易に手に入れられる」ことになり、ホープスターは「丈夫だけど、壊れても修理が全国どこでもかんたんにできる」ということにつながった。
軽オート三輪の市場が勃興し一気に立ち上がっていく際、このことはホープ自動車にとってとても強い武器になった。だが最終的には「アッセンブリーメーカーから脱却できない」という事態を招くことにもつながり、大手メーカーが一斉に参入してくると同時に急速に市場を奪われてしまうことになったのだった。
その後、ホープ自動車は遊園地等の遊具やメダルゲームなどの製造メーカーへと業態転換、遊具業界では代表的メーカーになった。だがそれも、時代とともに市場が縮小、2016年に解散となってしまった。