赤ちゃんが乗るのに乳母車とは?

今ではベビーカーという名前が一般的になり、なかにはバギーなんて洒落た言い方もされるが、昭和の時代、赤ちゃんが乗る手押し車といえば、乳母車の名称が普通であった。
見た目も今のように小洒落たものではなく、このイラストのように籐製のものであったのだ。
単純に籐かごに車輪が付いたものもあれば、イラストのように宝船などありがたい細工が施されたものもよく見かけられたものである。子どもの成長を願い、編み込まれているのだろう。
ところで乳母車という名称だが、赤ちゃんが乗るのに乳母とはこれいかに?と思ったことはないだろうか?
諸説あるものの、かつては母に代わって育児をする乳母が推していたことに由来するだとか、子どもを母に代わってあやす乳母のような存在だから、とも言われている。
いずれにせよ、優しさを感じる名前である。
乳母車といえば……
そして、乳母車といえば昭和世代にとってはどうしても思い浮かぶものがある。
そう、子連れ狼だ。
拝一刀と大五郎の「大五郎!」「ちゃーん」という掛け合いは印象深い。
その子連れ狼で、大五郎が乗っている細工満載の手押し車もやはり乳母車である。
子連れ狼の作品としての時代は江戸時代初期頃だと思われるのだが、日本最初の乳母車として記録が残っているものは1867年。幕末から明治の過渡期なのだ。時代が合わないといえば合わない。
まあ、そこに突っ込むのは無粋というもの。
あのギミックだらけの乳母車に時代の整合性など関係ないのだから。

ありとあらゆる庶民文化に精通し、膨大なコレクションとエピソードをお持ちの「庶民文化研究所」所長、町田忍さん。 昭和レトロそのもののような町田さんの研究所にお邪魔し、膨大なコレクションから懐かしいアイテムをピックアップ。懐かしいエピソードや知られざる裏話、さらに華麗なる交友録までお届けします。