ボックスアートの巨匠・小松崎茂

ボックスアートやパッケージアートなどとも言われる商品のパッケージに描かれる挿絵。
プラモデルの箱絵に興奮していた昭和世代は多いことだろう。なかでも兵器もののプラモデルは、大迫力で描かれていて箱絵の魅力が存分に発揮されていた。
ボックスアートの世界にあって、とりわけ注目すべき人物といえば、第一人者とも言える画伯・小松崎茂だろう。
庶民文化研究所に収蔵されたプラモデルの箱絵にも小松崎茂氏の作品は多い。
町田忍所長が誇らしげに掲げているこの箱絵はタミヤが発売し、小松崎茂氏が挿絵を描いたタイガータンクとパンサータンクだ。
そして、このパンサータンクのボックスアートこそが、小松崎茂の名作ボックスアート量産の口火を切る作品なのだ。
パンサータンクは当時のタミヤが社運を掛けて、多額の金型開発費を投入し作り上げたプラモデルで、すごい力の入れようだった。
そんな気合い十分なプラモデルにふさわしい箱絵をということで依頼されたのが、小松崎茂その人だ。
戦場の熱気や爆音まで届きそうな臨場感のある箱絵はまたたく間に注目され、パンサータンクは売れに売れた。
以降、タミヤのプラモデル=小松崎茂となり、プラモデルの第一次ブームを作るまでになったのであった。

箱絵がたどった悲しき時代背景
プラモデルブームがいったん収まるまで、小松崎茂に代表される劇画風のボックスアートが、小松崎茂の弟子たちや、その他の画伯の手で数多く生み出されていった。
しかし、プラモデルの輸出がはじまる頃になると、内容物と箱絵の差異が問題視されるようになり、徐々に劇画風のボックスアートは姿を消していくことになる。
代わって増えたのが、完成品にないものは描かない資料的な箱絵だった。
完成品を写真で写した箱まで登場した。
町田さんをはじめ昭和のプラモデルを愛した者にとって、あの箱絵はとても魅力だったし、絶対だった。
時代の流れとは言え、残念である。
昭和の良き緩さから生まれたプラモデルの箱絵に悲哀を抱かずにはいられない。

ありとあらゆる庶民文化に精通し、膨大なコレクションとエピソードをお持ちの「庶民文化研究所」所長、町田忍さん。 昭和レトロそのもののような町田さんの研究所にお邪魔し、膨大なコレクションから懐かしいアイテムをピックアップ。懐かしいエピソードや知られざる裏話、さらに華麗なる交友録までお届けします。