スポーツカーのS500に先駆けて、まず軽トラから販売開始した

・モデル名 :T360
・メーカー名:ホンダ
・年式 :1965
・撮影場所 :第8回 石和温泉郷クラシックカーフェスティバル2018
・撮影者 :ミノ
実は本田宗一郎がまるまる1台関与した唯一のクルマ

昭和38年(1963年)、まだオートバイの販売網しかもっていなかったホンダが、本格的に4輪自動車に参入するにあたり最優先して開発し市場に投入したのは、軽トラのT360だった。
今の感覚でいけば、イメージリーダーになりそうなスポーツカーの「S500」あたりを真っ先に売り出し、カッコよくて性能が良くてしかもなんとか頑張れば購入できそう・・・なんていう販売戦略が採られそうなものだ。
だが、当時ホンダはそれをしなかった。
冒頭でも触れたが、当時ホンダはバイクのメーカーであり、当然のことながら全国のホンダの販売店はバイクのお店だった。
そんな全国のバイク店だが、雪が降る地域では冬はバイクが売れないし、そうでなくてもひどく寒い時期にバイクを買おうという気になる人はあまりいないだろう。
冬の間、売るものがない系列のバイク店のために、冬の間に売れる軽トラを商品として用意するという目論見もあったそうだ。
小さいボディに小さいエンジンを積む軽トラならバイク店で扱うこともそれほどたいへんではないし、お金持ちの趣味で乗るようなオープンスポーツカーより軽トラのほうが実際の需要は大きいだろう。

それに、なにより「働くクルマ」を手頃な価格で市場に届けることで、世の中の役にたちたいという気持ちもあったことだろう。
実はそんなホンダ初の4輪車・軽トラのT360は、開発に創業者・本田宗一郎がまるまる1台関わっている唯一の車種であるのだ。
本田宗一郎のユニークなアイデアが盛り込まれたT360は、たとえばホンダ初どころか日本発のDOHC2バルブエンジン搭載車でもあったりする。
当時DOHCなんて、海外の高性能スポーツカーぐらいにしか載っていなかった時代だ。
しかも360CCなんていうマイクロエンジンに精巧な2バルブだなんて、誰も考えなかったに違いない。しかもそれを軽トラに、だ。実際のところはその後に続くスポーツカーに投入するための準備でもあったのだろうが・・・。
短いノーズを持つセミキャブオーバータイプに見えるレイアウトだけど、エンジンはフロントシート下に収められている。つまりミッドシップレイアウトだったりもする。
この特異なレイアウトは、後の世代まで脈々と受け継がれ、ホンダといえばアクティのようなミッドシップレイアウトの軽トラや軽バンが伝統となっていく。