英国ルーツ社の乗用車をいすゞが完全ノックダウンで生産

モデル名 :ヒルマン ミンクス(PH100型 2代目)
メーカー名:いすゞ
年式 :1961年
撮影場所 :クラシックカーフェスティバル in 所沢2017
現在はトラック・バスなど「働く車」の専業メーカーになっているいすゞは、かつて名車と呼ばれるような乗用車をいくつも製造していたのは、懐カーファンには常識だね。
そのいすゞが乗用車の製造ノウハウを習得するために、英国車を完全ノックダウン生産していたのがこの「ヒルマン ミンクス」だ。
ノックダウン生産で製造技術を習得

ヒルマンはサンビームやタルボなどのブランドを傘下に持っていた英国の「ルーツ・グループ」のひとつで、「ミニ」のライバルといわれた「ヒルマン・インプ」などが有名だ。
ミンクスはそのヒルマンの大衆車なんだけど、それをいすゞが完全ノックダウンで日本国内で生産し、高級車として売り出していたんだ。
当時、まだ日本の自動車産業は戦後に再興しはじめたばかりの頃で、本国では大衆車といえど英国車は高嶺の花、高級車であったことは間違いない。別にぼったくっていたワケじゃあないw
またいすゞに限らず、各社さまざまな外国車をノックダウン生産し、製造技術を習得していったんだ。
ちなみに、「完全ノックダウン」というのは「部品をすべて輸入し、販売地(=日本)で組み立てて販売すること」をいうよ。
各社さまざまな外国車をノックダウン生産

これは産業復興のため、当時の通産省が主導して積極的に行われていたよ。有名なところでは、「日野ルノー」とか「オースチンA40(日産)」などもそうだね。
ヒルマンミンクスのボディは、なんと三菱重工業(当時は三菱日本重工業)が製造していたんだ。
いすゞはヒルマンミンクスの製造を通じ、急速に乗用車製造のノウハウを身に着けていく。後継車とされているのは、あのベレルとベレットだ。
製造末期ごろには、当時のイギリス国内でも「日本製の(いすゞ)ヒルマンミンクスのほうが、本国製よりボディの建て付けや細部の仕上げがよい」と言われていたそうだ。