夜のチャルメラは夜食の合図。庶民の味方の屋台

福岡の中洲や、祭りの出店でこそ見られるが、ほとんど見かけることがなくなった屋台。道路使用規制などが強まったことが原因だが、昭和世代には夜鳴きそばをはじめ、非常に身近な存在だった。あの外で食べる感じがなんともおいしく感じられたものである。
今回、町田忍さんが描いてくれたのは、台車で引いて移動するタイプの屋台そば。
ちなみに大阪の屋台なんだそう。
そもそもの屋台のはじまりは江戸時代まで遡る。
明暦の大火によって、復旧のための労働者が多く集まったのがきっかけで、屋台営業が増えていったそうな。
そばや天ぷら、お寿司、おでんなどなど、様々な屋台が出て、隆盛を誇ったと言われている。
落語の小咄のひとつ、「時そば」も江戸時代の屋台のそば屋が舞台だ。
その後、ふたたび屋台が脚光を浴びるのは戦後。闇市だ。
あの混乱の時代、店を持たずに商売ができる屋台は、ピッタリな業態だったのだろう。
その後はご存じの通り、庶民のお腹を満たしたものだ。
そして、今も数は少なくなったものの、庶民の、あるいは酔っぱらいのお腹を満たしてくれている。昔も、昭和も、そして今も、屋台はいつだって庶民の味方なのだ。

ありとあらゆる庶民文化に精通し、膨大なコレクションとエピソードをお持ちの「庶民文化研究所」所長、町田忍さん。 昭和レトロそのもののような町田さんの研究所にお邪魔し、膨大なコレクションから懐かしいアイテムをピックアップ。懐かしいエピソードや知られざる裏話、さらに華麗なる交友録までお届けします。