そしてワタシは、また銭湯へ(前編)

そしてワタシは、また銭湯へ(前編)

はじめまして。イラストレーターをはじめとする自由業者、メソポ田宮文明と申します。長崎県は長崎市生まれの“昭和40年男”でございます。このたび、銭湯&町田忍さんとのご縁でこのようなコーナーを持たせていただくことになりました。 まずは、これまでのワタシと銭湯の関わりについて書いてみたいと思います。


幼少期から銭湯が

左=筆者・メソポ田宮と、右=「銭湯もりあげた〜い」公式キャラクター・お湯わいてるぞう

左=筆者・メソポ田宮と、右=「銭湯もりあげた〜い」公式キャラクター・お湯わいてるぞう

自分の人生を振り返ると、要所要所で銭湯の存在があります。
まず幼少期。長崎市の線路沿いの風呂なし長屋で生まれたワタシは、小学校1年ごろまで銭湯通い。(川口町の『松の湯』と浜口町の『大学湯』=どちらももうありません)
二十歳の時に上京。杉並区東高円寺の風呂なしアパートに住み、銭湯通い。(現在も営業している『桜湯』と『大和湯』)
深夜の帰宅時、銭湯へ行けなかった日は、アパートの流しでカラダをよく洗いました。

2年後に葛飾区お花茶屋へ引っ越し。今度は風呂ありアパートでしたが、近所に銭湯が2軒(現在も営業している『美吉湯』と『さつき湯』)あったのでちょくちょく通いました。

上京後は、リクルートで求人広告の営業→やりたかった広告制作の部署へ。
’92年、町田忍さんの著書『銭湯へ行こう』(TOTO出版)と出会い、銭湯の世界の奥深さを初めて 知ります。

銭湯へ行こう

銭湯の魅力が詰まった本『銭湯へ行こう』(1992年発行)。出版記念トークイベントにも行きました。

会社案内に銭湯を

リクルートフロムエー社 新卒採用パンフレットの表紙

リクルートフロムエー社 新卒採用パンフレットの表紙

’93年、フロム・エーの新卒採用パンフレットの制作を任せられた際、北千住の“キング・オブ・銭湯”大黒湯さんで撮影をさせていただきました。 
(当時はバブルが弾けた直後の採用。足元をしっかり見て歩ける…それをあえて「いい世だな」と言ってみたのでした)

大黒湯さんの当時のペンキ絵

大黒湯さんの当時のペンキ絵

オマケで同封した入浴剤『フロモ・エー』も作りました

オマケで同封した入浴剤『フロモ・エー』も作りました

結婚披露を銭湯で

そんなワタシの思い出深いイベントのひとつが、銭湯での「結婚披露宴」。
西小山の弁天湯さん(すでに廃業)の脱衣所を会場にして、会社の仲間&友人向けの結婚披露宴を開催したのでした。
当時の友人が、この脱衣所を借りてジャズダンスのレッスンをしていたのです。脱衣所の男女間の壁がボタンひとつで移動し、広い板張りの空間に。
レンタル料は1時間で1000~2000円くらいだったと記憶しています。

リーズナブルな場所で気軽な披露宴を…と思っていたワタシたちは、開店前の2時間をお借りし、飲食物などすべて持ち込みで日曜のお昼に開催。
入りきれないくらいの仲間が来てくれて、一生の思い出を作らせてもらったのでした。

披露宴開催時に作った告知チラシ。社内結婚でした。

披露宴開催時に作った告知チラシ。社内結婚でした。

告知チラシの裏面。当時の商店街はこのようなカンジでした

告知チラシの裏面。当時の商店街はこのようなカンジでした

結婚したのは1991(平成3)年、26歳の時でした。
31歳で会社を辞め、フリーランスとなります。
そして、しばらくするとまた銭湯とのご縁はわいてきたのでした。

次回は後編、現在までのワタシと銭湯、「銭湯もりあげた〜い」&公式キャラ・お湯わいてるぞうの誕生などについて書いてみたいと思います。
(中編へ続く)

■著者略歴

ゴールデン横丁の仲間たち | メソポ田宮文明(メソポタミヤブンメイ)

https://goldenyokocho.jp/articles/2803

イラストレーター、漫画家、造形作家。そして町田さんのお知り合いにして銭湯好き。「お湯わいてるぞう」や「銭湯戦士 セイント☆セントー」など、銭湯関連のグッズを雑誌、新聞、Webなどで多数デザイン&執筆中。その他、日本漫画家協会の会員や、銭湯もりあげた〜い隊員、くるくる紙芝居友の会会員など、多方面で活躍。ゴル横では主に銭湯愛をご紹介予定。

関連する投稿


湯~とぴあへつながるゲート~銭湯のれんの世界

湯~とぴあへつながるゲート~銭湯のれんの世界

庶民文化研究所所長・町田忍さんがおうち時間で行った収蔵品の整理。庶民文化研究所には膨大な量の収蔵品があり、整理整頓しないとそれはそれは大変なのだ。今回はおうち時間で掘り起こされた収蔵品の中から銭湯のれんを紹介。銭湯の入り口に構えられたのれん。銭湯独自のデザインで入る前からワクワクさせてくれるあののれんについて、町田さんに教えてもらった。


そしてワタシは、また銭湯へ(後編)

そしてワタシは、また銭湯へ(後編)

イラストレーター・メソポ田宮文明の偶然なのか必然なのか、銭湯とのご縁が深まっていくさまを書かせていただいている連載、3回目。 今回は、『銭湯もりあげた〜い』というグループでのお話を中心に書かせていただきます。


町田忍流おうち時間 ~ 収蔵品の整理してたらこんなん出ました。Part1:炭酸飲料の空き缶

町田忍流おうち時間 ~ 収蔵品の整理してたらこんなん出ました。Part1:炭酸飲料の空き缶

STAYHOMEが求められる今。みんなそれぞれ工夫しながらおうち時間を楽しんでいると思う。それはもちろんゴル横の住民も同じ。そこで今回は、庶民文化研究家・町田忍さんにおうち時間を聞いた。収蔵品の整理をかねて庶民文化研究所を掘り起こす町田所長。出てくる出てくる懐かしい収蔵品の数々。退屈しない町田流おうち時間を覗いてみた!


水中で開く愛の花…昭和の納涼アイテム・水中花

水中で開く愛の花…昭和の納涼アイテム・水中花

庶民文化研究所収蔵のコレクションの中から、今回は水中花をピックアップ。江戸時代に日本に伝来し、以来、日本の夏にささやかな涼を提供してくれた水中花だが、今では見かけることもごくわずか。そんな希少な水中花の世界を存分に楽しんでいただきたい。


栄養ドリンク(の空き箱)は黄帝液やゼナだけにあらず「ムフフ系栄養ドリンク(の空き箱)」でムフフな期待がムフフフフ

栄養ドリンク(の空き箱)は黄帝液やゼナだけにあらず「ムフフ系栄養ドリンク(の空き箱)」でムフフな期待がムフフフフ

庶民文化研究所収蔵の栄養ドリンク(の箱)中から、ユンケル黄帝シリーズやゼナについて紹介したが、庶民文化研究所にある栄養ドリンクの空き箱は、ほかにもたくさんある。今回は、たくさんの栄養ドリンク(の箱)のなかから夜の元気がチャージされそうな栄養ドリンク(の箱)をピックアップ。「ムフフ系栄養ドリンク(の箱)」を町田忍所長に紹介してもらう。


最新の投稿


ロキシー・ミュージック/Roxy Music - More Than This - 1982年

ロキシー・ミュージック/Roxy Music - More Than This - 1982年

ロキシー・ミュージックは1972年にデビューしたニュー・ウェーブ・バンド。初期にはブライアン・イーノ(key)も在籍。イーノ脱退後はブライアン・フェリー(vo)、アンディ・マッケイ(sax)、フィル・マンザネラ(g)がサウンドの中核を担い、徐々に前衛的な音楽性をポップで緻密な内容に変化させつつ、83年の解散までイギリスを中心に高い人気を誇りました。


オースチンA50ケンブリッジ | 日産 - 初期の日産が英国から技術を習得するために製造していた【旧車】

オースチンA50ケンブリッジ | 日産 - 初期の日産が英国から技術を習得するために製造していた【旧車】

国産車製造の初期、日産が乗用車の製造ノウハウを習得すべくイギリスのBMC(ブリティッシュモーター)のオースチンをライセンス生産していた。 最初はA40サマーセットをノックダウン生産し、「日産オースチン」として販売していました。


バックストリート・ボーイズ/Backstreet Boys - I Want It That Way - 1999年

バックストリート・ボーイズ/Backstreet Boys - I Want It That Way - 1999年

バックストリート・ボーイズはアメリカの人気ポップ・グループ。3枚目のアルバム『Millennium』に収録。コーラスが素敵ですね。CD売上は1億3千万枚以上!


ゲッター1(ゲッターロボ) - ゲッターロボの謎2題。

ゲッター1(ゲッターロボ) - ゲッターロボの謎2題。

合体ロボットという新ジャンルを切り開いたエポックメイキングな作品、『ゲッターロボ』に登場したロボットの一形態です。このゲッター1をゲッターロボのことだと勘違いしていた人も結構いたのでは?かくいう私もそうなんですが。


エアロスミス/Aerosmith - Last Child - 1976年

エアロスミス/Aerosmith - Last Child - 1976年

エアロスミスはスティーヴン・タイラー(vo)、ジョー・ペリー(g)、ブラッド・ウィットフォード(g)、トム・ハミルトン(b)、ジョーイ・クレイマー(dr)の5人からなるアメリカのロック・バンド。1973年のデビュー以来、メンバーチェンジと復帰を繰り返しつつ活動を続け、トータルセールスは全世界で1億5,000万枚以上。今でも国民的人気を誇ります。