川口能活 ‐ 情熱系ゴールキーパー(後篇)

川口能活 ‐ 情熱系ゴールキーパー(後篇)

ファインダー越しにサッカー界を見つめてきたプロカメラマン今井恭司さんの蔵出し写真と暖かいコラム。今回は「川口能活 ‐ 情熱系ゴールキーパー(後篇)」をお届けします。


2018年12月2日J3リーグ最終戦鹿児島ユナイテッドFC戦試合終了後の川口能活選手

この写真は2018年12月2日、ギオンスタジアムでの鹿児島ユナイテッドFC戦に勝利し、今季限りで現役選手生活に別れを告げて、大観衆に笑顔で応える川口能活選手です。

2018シーズン限りで現役引退を発表した川口能活選手ですが、長年一生懸命プレーし続けてきて、日本サッカー史に残る重要ないくつもの場面では、いつもゴールマウスの前には彼が立っていました。1968年メキシコ大会以来28年ぶりとなるアトランタオリンピック出場を決めた時は、攻撃の中心選手だった前園真聖選手と並んで、守備での立役者でした。アトランタオリンピックでは『マイアミの奇跡』と語り継がれているブラジル戦の勝利も経験して、その後はトントントン! とA代表にまで登りつめて、長く日本代表の守護神としてゴールに立ちはだかる存在でした。

国際Aマッチデビューは1997年2月13日、バンコクで行われた第28回キングスカップのスウェーデン戦でした。この大会では、小島伸幸選手(平塚)、下川健一選手(市原)につづく第3ゴールキーパー的な立場でしたが、3月から始まったワールドカップフランス大会アジア地区1次予選では、当時21歳の若さで正ゴールキーパーのポジションを勝ち取りました。もちろん、1998年ワールドカップフランス大会に初出場した時も正ゴールキーパーだったわけで、だから本当に長い間お疲れさまでしたっていう気持ちです。

2001年8月15日 AFC/OFCチャレンジカップのオーストラリア戦

引退後の今後は、指導者として後輩ゴールキーパーたちの育成をやっていきたいと話していましたが、ただ、まだなんにも指導者ライセンスを持っていないらしい。普通だったら30歳も過ぎたら、引退後のことを考えたりもして、現役生活を続けながら指導者ライセンスを取りに指導者講習にいったりするんだけど、そういうのを潔しとしない性格なんです。そんな一途な性格はいい意味で「昔気質な人」なんだよね。

今の子たちはそうじゃないっていうと怒られてしまうけど、昔の人ってわりとそうじゃないですか。ひとつのことをしっかりとやり遂げてから、それから次ってな感じで。だけど、そうすると時間がもったいないって僕らは感じてしまうんだけど、でも川口能活本人としては、相模原で現役選手としてクラブに籍を置いている間は「試合に出ても出れなくても、いつでも準備はできている」っていう気持ちでやっていたわけで、その間はコーチになる準備はしたくなかったのでしょう。いま、目の前のことだけに100%集中して、セカンドキャリアのこととかは一切考えないタイプだった。本人的にはたぶんそこまで大仰に、深刻に考えているわけじゃないんだけど、そこは見習わないといけないところかな。

1998年6月20日 ワールドカップフランス大会 クロアチア戦終了後

彼のプレースタイルは、ライバルの楢崎正剛選手が「沈着冷静」で、常に「平常心」な感じに見えるのに比べると、「熱く」「情熱的に」「ストレートに感情を表に出す」タイプだったかな。だから昔堅気ではあるんだけど、そういうメンタルは、実は意外と今までの日本人ぽくはない。ピッチの一番後ろから前に向かって必死にコーチングするじゃないですか。でも結構ディフェンダーたちから「うるせえなっ!」って思われることもみててあったよなあ、と思い出します。そういうことも「どんな時でも声を張り上げていわなきゃいけないんだ!」っていうのが、彼の中には信念としてあったんだよね。日本代表では先輩の井原正巳選手とか秋田豊選手あたりにも遠慮容赦しないで、結構ガツガツ言っていた。もちろん「くん」とか「さん」とかつけないでね。でもキーパーはそうでないと務まらないですから。

それでいて、普段の受け答えなんかは、なんといっても紳士的だった。この間の記者会見でも、誰でもいうことなんだけど、家族に感謝してっていうことを自分の言葉で言えるのがしみじみエライなあと思ってみてました。ああいう話を聞いていると、「いやーもうちょっとやった方がいいんじゃないかなあ」って思うんだけど、本人の中ではたぶん誰も聞かなかったけど、今季大差で負けた試合とかもあって、それが一番のきっかけになったんじゃないかな。

1998年7月21日 マイアミ・オレンジボウルでのブラジル戦

でも日本サッカーの歴史の中で、川口能活のなにが一番すごいかっていったら、ゴールキーパーというポジションをサッカーの中でメジャーにした一番の立役者じゃないかな? ひとつはマスクが良かったってこともあるし、『マイアミの奇跡』のように強敵相手にも信じられないようなセーブを何度も何度も繰り返したってこともあります。それに加えて、高校の時から試合も終盤になると、セットプレーの時に最前線にあがって攻撃に参加するののハシリでもあった。たぶん点を取ったこともあったんじゃなかったかな? とにかくスルスルスルスルってよく上がっていった。で、相手にボールを奪われるとダダダダダーって一目散に自陣に戻ってくるという、そんな新しいことにもチャレンジしながら、ずっとゴールを守ってきた選手でした。

1996年3月24日 アトランタオリンピック最終予選 サウジアラビア戦

日本代表の試合で一番印象深い試合は、このアトランタオリンピック予選で予選突破を決めたサウジアラビア戦のこの一枚が一番思い出深い試合でした。集中開催でマレーシアにずっと行ってて、とにかく大会期間中ずっと最後方から前線に向かって選手たちを鼓舞し続ける姿と、彼の張り上げる大声が記憶に残っています。たしか最終予選のMVPはサウジアラビアのO・ドサリ選手でしたけど、僕の中では川口能活選手がMVPでしたね。そこから一気に駆け上がっていきましたから。当時のゴールキーパーコーチのマリオがすごくよく育ててくれたと川口選手本人もいってました。日本人コーチだとあんな強烈なキックは打てないんだけど、マリオは練習でも容赦しないで、ビシッ! ビシッ! て蹴ってくるから、いいコーチにも恵まれました。日本代表でも1998年ワールドカップフランス大会に向けて、素晴らしい選手たちが揃った。だからあそこまで行けたんでしょう。28年ぶりにオリンピックに出場して、ワールドカップにも悲願の初出場を果たして、こんな恵まれた選手はいないですよね。フランス大会から、2002年日韓、2006年ドイツ、2010年南アフリカと、経験の数でいえば日本で一番実績のあるゴールキーパーだったから、本音をいえば引退するのは惜しいけど、みんなで花道を作ってあげないとっていうのはあります。

1996年3月27日 アトランタオリンピック最終予選 韓国戦でマリオコーチと

もう長いこと日本サッカーの最大の弱点は、ストライカーでもゲームメーカーでもなく、実はゴールキーパーなんだっていわれていましたが、本人もいっていたのは、ワールドカップロシア大会もそうだったけど、キーパーの守備範囲が今までにないくらい広くなってきて、いまやキーパーは守るだけじゃなく、ペナルティエリアの外からでも攻撃の起点にならなくてはいけないシーンが増えてきた。体力や瞬発力はもちろんないとダメなんだけど、試合の流れの中で相手チームの弱点を突く最後尾からの攻撃的なフィードとか、ロングパスのセンスと精度も今までになく重要になってきたことは、たぶん試合をみながら実感したんじゃないかな。キーパーの役割も変わってきてますし、世界的に見たらキーパーの役割が一番革新的に変わってきているところだと思います。南アフリカ大会やブラジル大会あたりからキーパーがいい国は必ず勝ち上がっていくようにサッカーも進化してきた。

2001年8月15日 AFC/OFCチャレンジカップのオーストラリア戦

そういうのも見ながら、今後の日本のゴールキーパーの育成にはどうしたらいいか、彼なりに考えていることもあるんだと思います。だから早くコーチングライセンスを取ってもらって、いい形でピッチに戻ってきて、世界に通用するゴールキーパーたちを育ててもらえたらいいなと個人的には思っています。実績がある人できちんと教えられる人がいれば、必ずいい選手は育つんですよ。アタマ越しにどうのこうのじゃなくて、実績を持っている人がいう言葉は若い選手たちにとってはとても重いですから、必ずやいい指導者になるに違いないと大いに期待しています。

SC相模原の今季最終戦にはお客さんが12,000人以上集まって、それはもうびっくりした。彼の地元静岡からも新聞やテレビもたくさん来ていて、地元の人たちって本当に暖かいなあとあらためて思いました。今の姿も清商の時の写真と見比べると、あんまり変わらないですよね。やっぱりちょっと童顔なのかもしれないけど、みんなこれにやられたんだ。それまでのゴールキーパーのイメージって、横山謙三さんとか、メーランおやじこと田口光久さんとか、わりと無骨な感じの選手が多かったから……これをみて女の子たちがみんなキャーキャー声をあげたんだよね。いきなりこんないい男がでてきちゃって、それはそれはみんなびっくりしたんだよね。こんなにカッコいいゴールキーパーは彼が出てくるまではいなかったからね。

2001年10月7日 サザンプトンでのナイジェリア戦

ゴールデン横丁の仲間たち | 今井 恭司(いまい きょうじ)

https://goldenyokocho.jp/articles/671

世界中を飛び回り最前線で日本サッカーを見つめてきたイマイさん。蔵出し写真とトークをゴル横だけにお届けします。2017年8月1日、日本サッカー協会により「第14回日本サッカー殿堂」に掲額されることが決定しました(特別選考)。

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