時代を一変させた、見たこともないほど華やかなスポーツカー

・モデル名 :2000GT
・世代/型式:MF10型
・メーカー名:トヨタ
・年式 :1968
・撮影場所 :第8回 石和温泉郷クラシックカーフェスティバル2018
1965年の第12回 東京モーターショーに参考出品の形で登場した、それまで日本で誰も見たことがないほど華やかな2シータースポーツカーは、時代の空気を一変させるほどのインパクトだった。
世界のスーパースポーツに一切引けをとらない流麗なスタイルに、ジャガー・Eタイプを思わせるような気品を漂わせて佇まい。
そして、谷田部の自動車高速試験場で叩き出された、いくつもの世界速度記録の更新のニュース。
日本から世界に羽ばたくスペシャルなクルマに、日本中が熱狂したのだった。
そしてその興奮は、半世紀を経た今でもこの美しいスタイルを見た人に、再び訪れるのだ。
谷田部でのスピードトライアルは、2000ccクラスで国際記録を樹立するのを目指し、当時のトヨタワークス(チームトヨタ)によって行われた。
ワークスドライバーたちが交代でステアリングを握り、6時間・12時間・24時間・72時間の平均時速がすべて200km/hを超え、その結果は当時の世界速度記録の13項目を塗り替えるものだった。
それまでトライアンフやポルシェが保持していた記録を更新するさまは、ドキュメンタリー映画にまでなって日本中を熱狂させたのだ。
また、いわゆるクルマ好き以外にも、日本でロケが行われた「007は二度死ぬ」でボンドカー(正しくはボンドが運転していないのだが)としてスクリーンに登場し、熱狂的なまでの注目を集めた。
若林英子が運転するオープンタイプの2000GTにショーン・コネリーが飛び乗るシーンは、何度見ても興奮させられるものだ。
日本の誇るオリジナルデザイン

1967年の発売時、当時の日本では考えられないほど流麗で美しいスタイルだったため、海外の著名なカーデザイナーの関与が噂されていた。
だが実際には、トヨタのインハウスデザイナーである野崎喩氏らによるデザインだったと言われている。
世界でも類を見ないほど美しいこのクーペが50年以上前の日本人の手によるものだと思うと、思わず身震いしてしまうほどだ。
この低くかまえて美しい抑揚を描くボディラインは、先にも挙げたがジャガー・Eタイプの影響が感じられる。
当初、ヘッドライトを低く配置するべくフロントのデザインがなされたが、当時の安全基準ではこのグリル両側の低い位置は認可されなかった。後からリトラクタブルタイプのライトが追加され、普段見えているフロントの2灯はフォグランプとされたのはよく知られるエピソードだ。
だが、結果的にこれが他に類を見ないコンセプトにもなり、また特徴的で愛らしくもあるフェイス回りを作ることになったのだから、それも良かったということだろう。
現車は前期型でグリルの高さより一回り大きいフォグランプとなっているが、後期型では高さが揃い横一文字になる。
1969年のマイナーチェンジでこの点を含むいくつかの変更が行われたが、後期型はより熟成が図られたことにより、文字通りGTカー的な要素が強くなったと言えるだろう。
足回りの見直しやMTのチューニングなどにより、乗り心地や運転しやすさも向上したとされる。
また、ヘッドレストが備わったり、オプションでクーラーが設定できるようになるなど、快適さもアップしたようだ。
たしかに、2000GTは目を吊り上げて必死にドライブするより、優雅にスポーティなドライブを楽しむほうがその雰囲気に合っているかも知れない。

