岡田武史 ‐ 古河電工黄金時代を築いたディフェンダー

岡田武史 ‐ 古河電工黄金時代を築いたディフェンダー

ファインダー越しにサッカー界を見つめてきたプロカメラマン今井恭司さんの蔵出し写真と暖かいコラム。今回は「岡田武史 ‐ 古河電工黄金時代を築いたディフェンダー」をお届けします。


日本サッカーリーグでプレーする古河電工サッカー部の岡田武史選手

この写真は、古河電気工業サッカー部(現在のジェフユナイテッド市原・千葉)のディフェンダーとしてプレーする岡田武史選手です。撮影データが失われてしまったため詳細は不明ですが、1988年頃の日本サッカーリーグで撮影した写真だと思います。

天王寺高校から早稲田大学を経て古河電工へ

ぼくが岡田武史さんを一番最初に見たのは、彼が高校を卒業するちょっと前くらいの時だったと記憶しています。大阪の天王寺高校の出身で、将来有望な選手と聞いていたのですが、その頃のユース年代ではそれほど名前が知られていたわけでもなかったんです。とにかくもうひょろひょろっとしていたのが印象的でした。その後、千葉の東大検見川グラウンドで、ユースチームの海外遠征前の合宿か、ユニバーシアードかなにかの強化合宿に招集されて、とにかく「メガネをかけたまんまヘディングをする子がいる」っていうのでとても目立っていました。

その時の写真もスタジオのどこかにあったはずなんだけど、なぜか出てこなくて……。でも「ああ、こんな子もいるんだなあ」と思ったのはよく覚えています。後日、賀川浩さんにうかがった話だと記憶していますが、「ドイツにいってプレーしたい」っていう相談を産経新聞の記者時代に受けたらしいんだけど、もちろんその頃はそんな立派な選手になるなんて、賀川さんも思っていなかった。

1988年4月16日、国立競技場での日本サッカーリーグ読売クラブ対古河電工戦の岡田武史選手

仲間にちゃんとモノがいえる選手だった

もうひとつ、ぼくが岡田さんのことを「ああ、こんな子なんだ」って思うかきっかけになったことがあって、旧ユーゴのリエカにユースチームが遠征にいった時、前の方には田嶋幸三選手(現日本サッカー協会会長)がいたりとか、結構いい選手が揃っていて、岡田さんもそのメンバーに入っていました。どのくらい試合に出場していたのかはあんまり記憶に残っていないんだけど、その遠征メンバーの中に名前は覚えていないのですが、ちょっとやんちゃな性格なヤツがひとりいて、彼は誰に対しても「なにを!」っていうような勝気な性格だったんだけど、自分たちの部屋からロビーに降りてくる時に、年下の選手に対してちょっかいを出していたとき、岡田さんは毅然として、そんなことしてはダメだ! と。そういう接し方はよくないってはっきりと仲間に言える子だった。

1989年10月8日三ツ沢球技場での日本サッカーリーグ、全日空クラブ対古河電工戦の岡田武史選手

確か早稲田大学にはいってすぐの頃だったと思うのですが、それだけはとてもよく覚えています。もしかしたらケンカになったかもしれないんだけど、好き放題に振るまう相手に対して、たったひとりでも食ってかかるというか、敢然とした態度で、いわゆる「いじめ」を止めに入って、チームの和を乱す乱暴な選手にもちゃんとモノがいえる選手だった。岡田さんはユースやなんかでもいい選手ではあったけれど、絶対的なレギュラーではなくて、いつもだいたい控えの一番手くらいな感じではありましたが、プレーはクレバーだし、性格もとても優等生的な印象を受けました。

1979年関東大学サッカーリーグ秋季戦での早稲田大学ア式蹴球部。後列右端が岡田武史選手

稲穂キッカーズからア式蹴球部へ

ところで早稲田大学に入学したはいいんだけど、一年間浪人生活をしていたからか、実は最初は「稲穂」(稲穂キッカーズ。早稲田最大最強のサッカー同好会といわれている)に入ったんです。早稲田大学の体育会は「ア式蹴球部」なんですが、「稲穂」はサークルなんだけど結構強くて有名な同好会クラブだった。「稲穂」はいい人材を輩出するというか、アタマが良くてサッカーもできるけど、勉強もしっかり取り組みたいから、体育会系はちょっとなあ……ってタイプが集まるサークルだった。だから「稲穂」出身の社長さんとかそういうひとたちって意外といっぱいいるらしいんです。そういうサッカー好きのビジネスマンなら「稲穂でプレーしてました!」っていえば、すぐわかるようなところ。そういうところに何ヶ月かいたらしい。

ところが、高校時代から岡田さんに目をかけて、ユース代表候補に召集していた日本サッカー協会の人たち(その後幹部になったような方たち)にばれてしまって、体育会のア式蹴球部に加入させられたらしい。でも、もしかしたらその当時ご本人は体育会にはもう入りたくなかったのかもしれない。もしかしたらだけど、体育会特有の理不尽で厳しい上下関係とか、そういうのが嫌だったのかも。加藤久さんも一年生の時にいちど退部届を出して合宿所を出ていったけど、当時の主将が加藤さんの退部届を預かってくれていたおかげで、しばらくして秋のリーグ戦からア式蹴球部に復帰できた、なんて話もあるので……。だから同じような時代だったから、そのくらい厳しい環境だったんでしょう。確か歳はいっしょだけど加藤久さんの方が一浪の岡田さんより学年はひとつ上だったと思います。

1981年3月8日国立競技場で行われた第9回日韓定期戦での岡田武史選手

武闘派の金子とクレバーな岡田の古河電工コンビ

岡田さんの選手時代は古河電工の時もそうですけど、やっぱりなんとなく手足が長くて、ひょろひょろっとした感じの選手で、全然マッチョじゃないんだけど、でも戦術というか全体を見る目はとても優れたものがあった。元々は前の方の選手だったらしいけど、古河電工に進んだときは、ディフェンダーとして将来性を高く評価されていました。最後尾でいいポジショニングをとってディフェンスラインをバックアップしながら、相手の隙を見てボールを奪うとスルスルスルスルって前線にあがっていくという、あの昔のスタイルの……ベッケンバウアーみたいなあれですよ!! だからセンターバックというよりは、スイーパーとかリベロっぽかったですね。帝京高校から古河電工に入った金子久さんと同時期に古河電工のディフェンスラインを組んでいた。どちらかというとマッチョで武闘派っぽい金子さんが潰し屋で、それをうまくサポートしながらクレバーにボールを前線に持っていくような役回りでした。

日本のクラブとしてアジアクラブ選手権を初制覇

岡田武史選手が古河電工に在籍していた1986年に、いまのAFCチャンピオンズリーグ、当時のアジアクラブ選手権のタイトルを日本のクラブとしては初めて古河電工が獲得しました。岡田さんはその頃古河電工の主力メンバーでしたが、12月にサウジアラビアで決勝リーグが集中開催された関係で、年末の天皇杯を辞退してアジアクラブ王者に挑戦したんです。だけど、ぼくが現地に行ったかというと、行ってなかった……。まだその頃はクラブのオフィシャルカメラマンなんてやってなかったから。クラブというか親会社や新聞やサッカー専門誌から頼まれれば行ったけど、アジアクラブ選手権という大会自体が日本国内では極めて注目度の低い大会でした。

だから現地には誰もカメラマンがいなくて、その時の写真は帯同した古河電工のチームドクターが撮ったんです。なぜかその頃のチームドクターはカメラ好きが多かったなあ。決勝リーグではサウジの名門アル・ヒラル、イラクのアル・タラバ、中国の古豪遼寧省と古河電工の4チーム総当たりで、通算3戦3勝で日本のクラブチームとしては初めてアジアタイトルを獲得したんです。

『古河電工サッカー部史』より

でも当時はサッカーなんてマイナーのマイナーだったから、「古河電工がアジアクラブチャンピオン戴冠」なんてたいしたニュースにもなりませんでした。天皇杯に出場するのを辞退したりしたので、むしろそっちの方がニュースになったりした。アジアチャンピオンになった新聞記事も共同電のとても短い記事でした。

1985年に清雲栄純監督のもとで日本サッカーリーグで優勝して、1986-87年シーズンは奥寺康彦選手が西ドイツから復帰したタイミングでした。だからこの『古河電工サッカー部史』のアジアクラブ選手権の集合写真もチームドクターが撮ったはずです。これは非売品でOB会発行の非常に貴重な記念誌なんです。岡田さん、奥寺さんだけじゃなく、金子久さんも加藤好男さんも吉田弘さんもいますね。今は解説者の川本治さんもいた。そう考えると結構いい選手がそろっていたんですよ。川本さんは空中戦で相手と競り合う時にヒュっ! て飛んで、滞空時間がとても長いので有名だった。あの人のジャンプとヘディングはすごかったなあ。まあだから、このメンバーでタイトルを取ったんだから、古河電工の黄金時代だったんだよね。毎年優勝候補っていわれていた日本サッカーリーグでもなかなか優勝できなかったけど、天皇杯を辞退して出場したアジアクラブ選手権ではキチンと結果を出したわけです。

1983年9月7日国立競技場で行われたロサンゼルスオリンピック予選フィリピン戦の岡田武史選手

なにせ奥寺さんが西ドイツにいって、日本に戻ってきた時も、一回辞めて国外に出ていった選手をちゃんと社員として迎え入れてくれたわけです。そんな融通の利く大企業はないけど、うまい具合に休職扱いにしていてくれたわけです。でも、すぐスペシャル・ライセンス・プレイヤーとして、木村和司さんとプロになっちゃったけど……。まあだからいい時代だったですね。人を大事に、というか、仲間を大事にすることができた時代だったし、仲間意識も強かったかな。古河電工はほかのクラブに比べると、決して飛び抜けた選手はいなかったけど、岡田さんのような芯の強い選手もいて、とてもまとまりのあるいいチームだった。歴代のサッカー協会会長を何代も出しているチームだったわけだし、ある意味当たり前といえば当たり前なんですがね。

1984年4月18日シンガポールで行われたロサンゼルスオリンピック予選マレーシア戦の岡田武史選手

日本代表として国際Aマッチ24試合出場

1982年11月3日のゼロックス・スーパーサッカーでニューヨーク・コスモスと対戦したときも日本代表で出場していますね。1985年、森孝慈監督時代のワールドカップメキシコ大会アジア地区予選の香港戦が最後かな。あの伝説の日韓戦はメンバー登録のみで出場はしていない。実は日本代表選手としての岡田武史選手の写真はあまり残っていないんです。日本代表としては国際Aマッチ24試合出場と意外と少ない。だから、選手としては決してスーパースターというわけではなかったんです。招集されても控え扱いだったり、ベンチ入りだけで出なかった試合も多かった。でも、プレースタイルはやっぱりクレバーだったですね。いつもきちっと物事や状況を自分の中で冷静に整理しているんだろうな。生活も試合もね。

1982年11月3日大宮サッカー場で行われたゼロックス・スーパーサッカー、ニューヨーク・コスモス戦の日本代表。後列左から二人目が岡田武史選手

例えばピッチを離れた時にも、飲んで性格が変わるとか、そういうのは全くなかった。俗にいうと、案外おもしろくない人なんだよね。いわゆるカタブツ。大会社の優秀な社員って感じなんだけど、実は「古河電工では仕事は何をしていたの?」って話も岡田さんといちどもしたことがない。確かに古河電工の社員だったはずなんだけど……。時代としては、Jリーグの始まりとともに清雲栄純監督のもとでコーチを始めて、指導者の道を進むことになりました。

だからやっぱり、みなさんの知ってる「岡ちゃん」は、監督になって成功してから、あの「岡ちゃん」になったんでしょうね。

(後編につづく)

1982年11月3日大宮サッカー場で行われたゼロックス・スーパーサッカー、ニューヨーク・コスモス戦の岡田武史選手

ゴールデン横丁の仲間たち | 今井 恭司(いまい きょうじ)

https://goldenyokocho.jp/articles/671

世界中を飛び回り最前線で日本サッカーを見つめてきたイマイさん。蔵出し写真とトークをゴル横だけにお届けします。2017年8月1日、日本サッカー協会により「第14回日本サッカー殿堂」に掲額されることが決定しました(特別選考)。

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