ジーコ ‐ 準々決勝フランス戦のPK戦でゴール

ジーコ ‐ 準々決勝フランス戦のPK戦でゴール

ファインダー越しにサッカー界を見つめてきたプロカメラマン今井恭司さんの蔵出し写真と暖かいコラム。今回は「ジーコ ‐ 準々決勝フランス戦のPK戦でゴール」をお届けします。


準々決勝フランス戦のPK戦でゴールを決めるジーコ

1986年6月21日グアダラハラで行われた、FIFAワールドカップメキシコ大会の準々決勝、ブラジル対フランス戦。

僕はこの準々決勝の一戦が、これまで取材してきた中で、いまだにナンバー1の試合だっていい続けています。1対1で延長までいって、最終的にはPK戦でブラジルはフランスに負けてしまったんですが、この試合は誰に聞いても歴代のワールドカップの名勝負には必ず入る試合だと思います。FIFATV World Cup Highlights: Brazil - France, Mexico 1986

17分にカレッカ(1993年から1996年まで柏レイソルに所属)が先制点をあげて、41分にミシェル・プラティニのゴールでフランスが追いつく。そして、怪我の影響で後半26分から途中出場したジーコが、試合の終盤にフランスのファールで得たPKをキーパーのジョエル・バツにブロックされてしまい、勝ち越すチャンスを逃してしまった。

試合はそのまま延長戦でも決着がつかず、1対1のままPK戦にもつれ込んで、フランスが4対3でブラジルを下して準決勝に進みました。ジーコはPK戦で今度はしっかりとゴールを決めたものの、フランスのプラティニはPKを外してしまった。ふたりのスーパースターがPKを外したってことでも話題になった試合です。最近見てないですけど、なんといってもこの試合がベスト1です。

とにかくこの時のブラジル代表は凄かった。ジーコ、カレッカ、ソクラテス、ジュリオセザール、アレマオ、ブランコ、ミューレル、それに控えだったけどオスカー(元日産自動車、京都パープルサンガ監督)やファルカン(元日本代表監督)もいた。監督は日本代表監督の噂もあった名将のテレ・サンタナ。

フランス代表にも、ミシェル・プラティニ、アラン・ジレス、ジャン・ティガナ、ルイス・フェルナンデス、ジャン=ピエール・パパンのようなスター選手やアンリ・ミシェル監督がいた。

やっぱり私はパワーで圧倒するサッカーよりは、魅せるサッカーの方が好きですね。この試合のブラジルやフランスのようなテクニカルなサッカーが好きなんです。

日本の選手たちだと、与那城ジョージさん(現J.FC MIYAZAKI監督)とか、ネルソン吉村さん(日本名は吉村大志郎。元ヤンマーディーゼル)とか、いい時のセルジオ越後さんとか。マリーシアとかよく言いますけど、相手をおちょくりながらもアタマもカラダも使って、華麗なパスワークやドリブルでプレーするようなサッカー選手たちが好きなんです。この試合はキックオフから延長戦までそういうプレーの連続でした。

フランス戦後のジーコ

ご存知のように、ジーコは1989年に一度現役を引退したにもかかわらず、Jリーグ開幕を控えた鹿島アントラーズの前身、当時の住友金属に加入して1991年に現役選手として復帰しました。

ちょうどジーコが住友金属に加入したばかりのころ、当時のヤマハ発動機(現ジュビロ磐田)が拠点にしていた練習場でジーコが加入した住友金属は合宿していた。その時は古河電工(現ジェフ千葉)も一緒に合宿していたんだけど、みんな憧れの選手だったジーコのところに行きたくても行けなくて、じーっと遠巻きにしてみていた。その中で、当時古河電工の新人選手だった京谷和幸さんが「今井さん、こっそりジーコの近くにいって座るから、写真撮ってください!」って近寄っていって、ジーコはあさっての方を向いているのにちゃっかりピースサインしている写真を撮ってあげました。あんまり近くじゃなかったんだけど……それくらいサッカー選手たちにとってのスーパースターが日本に来たわけです。

一度現役を引退していたとはいえ、それでもJリーグ開幕当時のプレーは群を抜いていたし凄かった。引退してからはブラジルのスポーツ担当大臣も務めていたジーコは、選手として復帰するにあたって体重を現役当時と同じに落として、コンディションも試合にしっかりあわせてきた。当時の日本人選手の考え方と違ったところは、怪我をしたりコンディションが整っていないときは、決して無理をしなかったですよね。無理をするとより悪くなってしまうから、きっぱり休む。

日本人だと「このくらいだったらできる」ってことで無理してやるんだけど、「コンディションがパーフェクトじゃなかったら、プロとしてのプレーは見せられない」というプロフェッショナルな選手としての考え方があったんだと思います。

この写真のフランス戦では勝つことができず、メキシコ大会のブラジル代表はグループリーグから準々決勝まで無敗のまま(4勝1分)でメキシコを去ることになりましたが、ワールドカップ史上に残る素晴らしいチームだったと思います。

でもワールドカップって、だいたい前評判のいい国は決勝まで勝ち上がることができずに、準々決勝とか準決勝とかいいところで負けちゃいますよね。で、いつもドイツが勝ち上がる、みたいなね。

ゴールデン横丁の仲間たち | 今井 恭司(いまい きょうじ)

https://goldenyokocho.jp/articles/671

世界中を飛び回り最前線で日本サッカーを見つめてきたイマイさん。蔵出し写真とトークをゴル横だけにお届けします。2017年8月1日、日本サッカー協会により「第14回日本サッカー殿堂」に掲額されることが決定しました(特別選考)。

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