高橋英辰 ‐ 日立製作所監督からクラブチームを創設した先駆者

高橋英辰 ‐ 日立製作所監督からクラブチームを創設した先駆者

ファインダー越しにサッカー界を見つめてきたプロカメラマン今井恭司さんの蔵出し写真と暖かいコラム。今回は「高橋英辰 ‐ 日立製作所監督からクラブチームを創設した先駆者」をお届けします。


日立製作所サッカー部を率いる高橋英辰監督

この写真は、日本サッカーリーグで日立製作所サッカー部を率いてピッチに入場する「ロクさん」こと高橋英辰監督です。こちらもデータが失われてしまったため撮影日時の詳細が不明ですが、おそらく1975年頃だと思います。

日立製作所を率いてヨーロッパ遠征

本当にずっと長く日立製作所を率いていましたが、日本代表がFIFAワールドカップへの出場なんて夢のまた夢だった1970年代に、日立製作所サッカー部を単独チームとしてヨーロッパ遠征に連れていったのもロクさんが初めてでした。確か最初にフィンランドに行って、オランダに行って、ノルウェーに戻って、そのあとまたオランダかベルギーにいったと記憶しています。たまたまその時別の取材でヨーロッパに滞在していて、途中から一週間くらいロクさんたち日立の一行に帯同しました。

その時もすごくロクさんにはお世話になったんです。こんなこというと当時の編集部のひとから怒られてしまうけど、ぼくなんかおカネがなくて、ヨーロッパ圏内を飛行機で移動なんかできなかったから、電車でノルウェーのボーデだったかな? もう北極圏に近い都市で試合やるってんで、どうやっていったらいいかわかんなくて、当時西ドイツから移動したんだけど、1970年代だったから便利なガイドブックなんかなかった(ダイヤモンド社「地球の歩き方」は1979年創刊)。すっぽり電車がフェリー船にそのまま入ってしまって海を越えたりとか、そんなことにびっくりしてしまって、ああ世界は広いなあとか思ったりして、二日間くらいかかってボーデについても、日立製作所の一行がどこに泊るかもわからないから、空港にロクさんたちを迎えにいったら「おお! ようきた!」って一緒の宿を紹介してくれたりもしました。

そのあとオランダまで戻ってなんだかんだで3、4試合は撮ったかな。チーム強化を目的としてヨーロッパに単独チームがわざわざ遠征にいったのは、おそらくこの時が初めてだったと思います。

ロク・フットボールクラブを創設

ロクさんはロク・フットボールクラブの創設でも有名ですね。日立製作所の監督をやっていた時も現役を退いたOBたちと西が丘サッカー場でロク・フットボールクラブのスクール活動をしていて、そこの手伝いをコーチみたいな感じでやってもらいながら、ユース世代にサッカーを教えることを現役を退いた選手たちに教えていたんです。それはずいぶん長いこと活動していて、いまでも埼玉県内で続いています。ユース世代の選手たちに引退したOBたちと一緒になって指導しながら、なおかつサッカーのすそ野を広げるために、サッカーを始めたばかりの子どもたちにも、というコンセプトでやりたいというのがロクさんのそもそもの夢でもあった。だから私財を投じてそういう活動もはじめました。

日立製作所サッカー部をベンチで見守る高橋英辰監督

その頃にはNPOとか、なんとか法人とかなかったですから、たぶん自費でみんなそういう活動も始めていたんだと思います。選手は引退したけど、余力があって仕事が終わったあとにサッカーの指導したりとか、サッカーを通じて子どもたちとふれあえたりとか、そういうことに意欲のあるOBたちに声をかけて、みんなで協力しながら子どもたちにサッカーを教えていくのがロク・フットボールクラブの始まりでした。

そんなに大々的に始めたわけではなかったけれど、いまでいうところの日本型の『クラブチーム』の原型みたいなクラブだった。日立製作所の監督を務めていたりしたから、あまり表立っては出れなかった。いまだったら簡単にできるようなことも当時は大変だったと思います。ヨーロッパにサッカーを見に行ったりして、そういう誰もみたことのない貴重な体験もロク・フットボールクラブを作る動機になったんだと思う。「ああいうクラブを日本にも広げたい」とか「学校や企業以外のクラブチームを作りたい」とか、そういう思いもあったんでしょう。でも自分も日立製作所のサラリーマンだったわけだし、企業スポーツのあり方やその枠を超えてはいけないし、必ずしもその存在自体を否定するものでもない。そういう柔軟な考え方や発想をしっかりと持っていたし、めざすところもはっきりしていたんです。

碓井博行選手に獲得のオファー

このヨーロッパ遠征にいった時に、早稲田大学から入団したばかりの碓井博行選手にオランダのクラブから獲得のオファーがあったときも、自分が勧誘してリーグではまだ試合に出していないし、日立製作所にやっぱり社員として入社させないと、いろいろ面目もたたない。そういういい話があったからって日本国内で1試合も使うことなく「はいそうですか、碓井はすばらしい才能をもっているから、はいどうぞ」って置いていくわけにはいかなかった。そこのところがロクさんの企業人としての顔と、もうひとつはサッカー人として大局的にみたときに日本のサッカーの将来のためにやらなければっていう使命感の狭間で、ずいぶん悩んだ出来事だった思うんですよね。

だから時代はロクさんみたいな人がいたから、そういうものが少しづつとっぱらわれてきて、いまみたいにいい時代になったっていうことだと思います。当時は企業の垣根を超えるっていうことがすごく大変な時代だったんです。でもロクさんはそういうこともわかっていたんだと思います。クラブだったらそういうことできるけど、企業だとそういうことが簡単にはいかない。当時の企業人としての顔と、あとサッカー人としての夢みたいなもの、そういうが相容れない部分をどうしたらいいか、いつも考えていた。

私見ですが、ロク・フットボールクラブはそういう動機で始めたんだと思います。いまにしてみたら当たり前のことですけど、いまから半世紀前の1970年代にそういうことを考えてやるっていうのはかなり先進的な考えだった。普通の人じゃできないことです。そうすると練習場所を借りるのも結構大変だったし、西が丘や別のサッカー練習場をいつも点々していた。ここを巣立った選手たちがどのくらいいるのかぼくも把握はしていませんが、かなりの選手たちがここから輩出されたと思います。

日立製作所サッカー部(1975年頃)

20年くらい時代を先取りした考え方の持ち主

もう人生のすべてをサッカーに捧げたような方でしたね。1987年にはNTT関東(現在の大宮アルディージャ)の顧問、1993年にはJリーグ初代技術委員長、もちろん日本サッカーリーグの総務主事も長いこと務めておられた。それよりなにより、ロクさんが携わったころの日立製作所は強かった。山口芳忠さんはロクさんのことを「オヤジ、オヤジ」って呼んで、「とにかくロクさんがやれるところまではやってもらおうよ。あとはぼくたちがサポートすればいいんだから」って支えてらした。欧州遠征もロクさんがいたからこそやろうってことになったし、あれがもうちょっと続いていたら日本のサッカーも変わった可能性もある。

たったの1回でもこういうことをやったのはすごく意義のあることだし、当時はサッカーはマイナーのマイナーだったから、そんな遠征なんかどこも取り扱わなかった。わざわざヨーロッパにいってまで強化に取り組むことがどういうことなのか、という意義さえもね。いまだからそういうことがいえるし、いまだからわかるけど、たぶん当時の選手たちもあまりわかってなかったと思うんですよね。「はるばるこんなところまできてさあ……」ってな感じでね。高橋監督としてみたら夢があって、少しでも本場のサッカーを味わわせて、それを日本に持ち帰って、みたいな構想はあったけど、なかなか一長一短ではみんなが一様には理解したり納得したりはしなかったわけです。

でもこういうことを継続しないことには日本のサッカーは強くならないって信じていたに違いない。そういう強い信念は持ってらしたと思います。とにかくいろんなことを見て、いろんなことをやってましたから。本当に勉強家でしたね。あんなにこまめにノートに記する人はいなかった。スタンドからサッカーを見ながらでも、緻密に丁寧にメモをされてました。もうちょっと後に生まれてきたらよかったのになって思ったりしますね。いやホントに、ロクさんは20年くらい先取りした発想だったし考え方の持ち主でした。

日本代表コーチの平木隆三さんとムルデカ大会にて

ゴールデン横丁の仲間たち | 今井 恭司(いまい きょうじ)

https://goldenyokocho.jp/articles/671

世界中を飛び回り最前線で日本サッカーを見つめてきたイマイさん。蔵出し写真とトークをゴル横だけにお届けします。2017年8月1日、日本サッカー協会により「第14回日本サッカー殿堂」に掲額されることが決定しました(特別選考)。

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