オシム監督① ‐ 1990年W杯西ドイツ対ユーゴスラビア戦

オシム監督① ‐ 1990年W杯西ドイツ対ユーゴスラビア戦

ファインダー越しにサッカー界を見つめてきたプロカメラマン今井恭司さんの蔵出し写真と暖かいコラム。今回は「オシム監督① ‐ 1990年W杯西ドイツ対ユーゴスラビア戦」をお届けします。


1990年6月10日 西ドイツ対ユーゴスラビア戦前のオシム監督(右から二人目)

この写真は、1990年6月10日、FIFAワールドカップイタリア大会グループリーグ初戦、西ドイツ対ユーゴスラビア戦の試合前に撮った写真です。

ユーゴ代表監督時代のオシムさん

イビチャ・オシム監督を撮ったのは、この時が初めてでした。

この頃は、日本がワールドカップに出場できなかった頃でしたから、大会期間中に出場した全チーム(当時は24チーム)を撮るという目的がありました。ただ予算にも限りがあるので、試合から次の試合への移動もしやすいようにスケジュールを組んだりしていました。

当時も西ドイツとかイングランドとか、人気のある国の試合は取材するメディアの数も多いので、プレスパスを持っていても試合会場には入れない場合がありました。そういうのも考慮して、グループリーグの初戦だった西ドイツ対ユーゴスラビア戦を取材することにしました。

だから、この日の取材対象もどちらかというと西ドイツ代表が目当ての試合でした。この試合は1対4でユーゴスラビアは敗れましたが、その後コロンビア戦(1対0)とアラブ首長国連邦戦(4対1)に連勝して決勝トーナメントに進出、ラウンド16のスペイン戦は延長で勝って(2対1)、準々決勝のディエゴ・マラドーナが率いるアルゼンチン戦では0対0からPK戦の末に敗れましたけれど、ドラガン・ストイコビッチ選手を筆頭にチームとしての評価とオシムさんの監督としての評価も非常に高めることになりました。

日本にやってきたオシムさん

まさかこの何年か後に、日本でジェフ市原(現在のジェフ千葉)の監督をする運命になるなんて、誰も思っていない。だから本当にいつ誰がどこでどうなるかなんてわからないですよね。

オシムさんは、1964年の東京オリンピックでユーゴスラビア代表として日本に来日しているのと、ジェフの監督になる前にも、1991年7月にパルチザン・ベオグラードの監督として日本代表との親善試合で来日していました。だからオシムさんご本人がいうには、当時から日本には親しみを持っていたらしい。

2003年にジェフの監督として初めてチームに合流した時のことはよく覚えています。

その時、ジェフは韓国のナムヘでシーズン前の合宿をしていましたが、監督就任が遅れていたオシムさんは、チームとは少し遅れてナムヘに合流することになった。そこで、オシムさんが初めて合宿地のホテルにやってくる日に、軽い歓迎会の準備をして待っていたら、部屋に入ってきたはいいけど、あまりご機嫌な様子じゃなかった。

それで誰もなにも話しかけられなくて、いきなり何を言うのかと思ったら「あの選手を左サイドで使っているのはなぜだ?」って言いだした。実は、ホテルにくる前に何も言わずにジェフの練習を見学していたらしい。そこで誰かが「左利きだから……」みたいなやり取りが始まったら、すっかり歓迎会の雰囲気ではなくなってしまった。

そんなやり取りのあとで、「明日の朝の練習ですが、どんな用意をすればいいでしょうか?」みたいなことをオシムさんに聞いたら、ギョロっとみて「明日の朝のことは明日の朝にならないとわからないだろ?」って。明日の準備についていろいろ監督に聞きたかったのに、「そんなことは明日の朝、選手たちの顔を見てから決めればいい」っていい残して部屋に帰ってしまった。だから残されたみんなはお通夜みたいな雰囲気になってしまった。

それからはオシムさんのやり方に従って、その日の朝に選手のコンディションや天気を確認してから、どんな練習をするかを決めることになった。そうしてみんな戦々恐々として朝練習場にいくと、オシムさんがビブスをみんなに配って、自分とコーチたちで練習の見本をみせて「同じようにしなさい」って練習のやり方を教えた。でも、選手たちはどうやったらいいかわからずに見よう見まねでやるんだけど、そもそも何のための練習だか実はよく理解できないでいた。

そういうことをしながらも、別メニューでランニングをしている選手が手を抜いているような感じでいると「あいつはどうした?」って聞いたりもして、誰がどこでどんな練習をしているか、みんなオシムさんの頭に入っているみたいだった。だから選手もスタッフも緊張の連続でした。

ゴールデン横丁の仲間たち | 今井 恭司(いまい きょうじ)

https://goldenyokocho.jp/articles/671

世界中を飛び回り最前線で日本サッカーを見つめてきたイマイさん。蔵出し写真とトークをゴル横だけにお届けします。2017年8月1日、日本サッカー協会により「第14回日本サッカー殿堂」に掲額されることが決定しました(特別選考)。

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