【旧車】ブルーバード910型│日産 幸せの“青い鳥”となる日産の名車の迷走苦悩、そして復活。

【旧車】ブルーバード910型│日産 幸せの“青い鳥”となる日産の名車の迷走苦悩、そして復活。


■日産の幸せの“青い鳥”復活を成し遂げた名車
・モデル名 :ブルーバード1800ターボSSS-S
・世代/型式:1981年/910型
・メーカー名:日産自動車
・搭載エンジン:直列4気筒SOHCターボ 1770cc、ボア×ストローク85.0×78.0mm 
・最高出力 :135ps/6000rpm
・最大トルク:20.0kg.m/3600rpm
・トランスミッション:5速マニュアル(フロアシフト式)
・サスペンション:前マクファーソンストラット独立、後セミトレーリングアーム式独立
・ボディサイズ:全長4510×全幅1655×全高1370mm
・ホイールベース:2525mm
・タイヤ:185/70SR14
・車両重量:1140kg
・販売時期 :1979-1993年
・生産台数 :---

日産ブルーバードは、310型から910型までの6世代が「ダットサン・ブルーバード」の名前で販売されていた日本を代表する中型セダンだ。1960年代の中盤以降、RT40型トヨタ・コロナと日産ブルーバード510型の双方の頭文字をとって“BC戦争”と呼ばれる熾烈な販売競争を繰り広げ、本稿のブルーバード910型が大ヒットしていた1970年代になるとTV・CMで互いに、相手のクルマを揶揄するパロディCMを繰り広げていた。

日産モデルチェンジの悪癖の犠牲になる“青い鳥”

ダットサン・ブルーバードは、3世代目の510型が別項でレポートしているように1967年に登場し、クリーンなスタイル、全車・四輪独立懸架や新型SOHCエンジンなど高度なメカニズムが評価され空前のヒット作となる。

しかし、そこから人気日産車、510型の呪縛に日産開発陣は苛まれる。つまり次世代モデルのポリシー無き開発、日産モデルチェンジの悪癖ともいえる迷走が始まることになる。

1971年に登場した610型ブルーバードは、サブネームが付いた「ブルーバードU」となり、ホイールベースを150mm、さらにフロントオーバーハングを55mmも延長した2リッター6気筒エンジン搭載車・2000GTシリーズをラインアップするなど、大型化と高級化路線を突き進む。しかし、市場からは「ブル……らしくない」と評され、610型発売以降も併売していた510型セダンの人気が再沸騰する現象さえも起きた。

日本でも1963年、鈴鹿サーキットで日本四輪モータースポーツの幕開けとなる「第1回日本グランプリ」が開催され、日本初のハイウェイである名神高速道路の開通を契機として、本格的な自家用乗用車のハイスピード時代が到来した。まだまだ日本のモータリゼーションは発展途上だったが、国産でもダットサン・フェアレディ、いすゞ・ベレットGT、プリンス・スカイラインGTといったスポーツカーが登場し始めていた。

名車510型以降、迷走する「青い鳥」

さらに、710型ではなく何故か連番飛ばしの次期モデル810型でも迷走と苦悩が続く。ボディは肥大化したまま、1.6と1.8リッター直列4気筒エンジンのほか、2リッター直列6気筒エンジン搭載車も継続。TV・CMや新聞広告にイメージキャラクターとして加山雄三を起用するも販売は伸びない。前照灯を丸眼4灯から角眼4灯に換えるなど、頻繁なマイナーチェンジを繰り返すが結果は同じだった。

販売不振の理由は、メカニズムの後退にあったのかも知れない。搭載エンジンは、510型から連綿と続く旧いL型エンジンで、排気ガス規制をクリアすることに汲々とし、パワー&トルクは見る影も無いありさまだった。さらに、コストダウンのためか510型で四輪独立懸架だったサスペンションもSSS系と6気筒車を除いて、リアサスペンションが4リンクコイルの固定軸に退化した。5速マニュアル車のシフトパターンも独特で、他社モデルから乗り換えたドライバーはもちろん、同社の510型やC10型スカイラインから乗り換えても違和感があった。

中型セダンとしてあるべき姿に還った910型登場

そして、系統的には1931年に登場した国産初の量産小型乗用車ダットサンの正統な後継者たるブルーバードは、1979年11月にわずか3年で5度目のフルモデルチェンジを受け、6代目の910型にスイッチした。

先代から一新されたプレーンでノーブルなスタイリングや、優れたトータルバランス、中型セダンとしてあるべき姿に戻した見識、そしてクルマとしての内容が高く評価され、ブルーバードとして510型以来のヒット作となった。

まず、あるべき姿としての見識のひとつは、610型、810型と続いた直列6気筒エンジン搭載のロングホイールベース版を廃止したことだ。当初、ボディバリエーションは4ドアセダンと2ドアハードトップ(HT)で、ボディサイズは810型4気筒車とほぼ同じだった。なお、発売の翌月には610型の途中でカタログから消えたステーションワゴンが復活。ADワゴンを名乗った。

スタイリングは2世代続いた曲線基調のフォルムから一転、510型を彷彿とさせる直線基調のクリーンなフォルムに変貌した。ボディサイズは全長が4350~4510mm、全幅が1655mm、全高が1360~1385mmで、先代から全長と全幅が拡大した。ホイールベースは25mm延長され2525mmとなった。

サスペンション形式は、先代同様にフロントが全車マクファーソンストラット式独立で、国産FR車初のゼロスクラブとハイキャスターにセッティングされた。リアサスペンションはスポーティグレード「SSS」系にセミトレーリングアーム式独立懸架が与えられた。

しかし、それ以外のモデルのリアサスは4リンクコイルのリジッド式となった。駆動方式はフロントエンジン&リアドライブのFR方式を踏襲。また、ステアリングにラック・アンド・ピニオン式を初採用、さらに全車フロントブレーキがベンチレーテッドディスク標準となったのが特筆すべきポイントだ。リアブレーキはグレードによりディスク式もしくはドラム式を採用した。

これらの機構的特質を前面に押し出した「走る。曲がる。止まる」のキャッチコピーは、「技術の日産」を信奉するファンの購買心理を動かしヒットにつながっていく。

非常に多彩なパワーユニットとグレード構成

国内市場向けの910型に当初用意されたガソリンエンジンは、すべて直列4気筒。キャブレターNA仕様が3種、1.6リッターのZ16型(最高出力95ps、最大トルク13.5kg.m)、1.8リッターNAのZ18型(最高出力105ps、最大トルク15.0kg.m)、そして2リッターNAのZ20型(最高出力110ps、最大トルク16.5kg.m)だ。そして、電子制御燃料噴射EGI仕様が2種、1.8リッターZ18E型(最高出力115ps、最大トルク15.5kg.m)と、2リッターZ20E型(最高出力120ps、最大トルク17.0kg.m)である。エンジンは都合5種類と非常に複雑なラインアップとなっていた。

組み合わせたトランスミッションは当初、4速&5速マニュアルと3速トルクコンバーター式オートマティックを設定。当初のグレード体系は、セダンは1600ccが4グレード、1800ccが3グレード、1800cc SSSが2グレード、2000cc SSSが2グレードとエンジン同様複雑なラインアップとなった。
一方、2ドアHTもセダンほどではないが6グレード構成のラインアップで、トップグレードは「2000 SSS EX G type」だった。

新たにターボユニット「Z18ET型」搭載

そして、翌1980年3月、910型ブルーバードの大ヒットの牽引役となるターボモデル4グレード、ターボSSS/ターボSSS-S/ターボSSS-X/ターボSSS-XGが追加される。新たに搭載したターボユニットはZ18ET型1770cc直列4気筒ターボエンジンで、最高出力135ps/6000rpm、最大トルク20.0kg.m/3600rpmを発生した。

同時に、歴代ブルーバード初のディーゼルエンジン搭載車も追加となる。搭載エンジンは2リッター4気筒LD20型ディーゼルエンジンは、最高出力65ps/最大トルク12.5kg.mを発揮した。

次いで1982年1月のマイナーチェンジで内外装が変更される。同時に、ピラーレス4ドアHTが追加され、2ドアHTはターボSSS/ターボSSS-Sの2タイプに整理統合される。
さらに同年8月の一部改良で、1.6リッター車のエンジンが新開発CA16型(最高出力90ps、最大トルク13.5kgm)に、1.8リッター車のエンジンがCA18型(最高出力100ps、最大トルク15.2kgm)、CA18E型(最高出力110ps、最大トルク16.5kgm)にそれぞれ換装された。同時にターボ車のATが4速化された。

910型ブルーバードのCMキャラクターは、先代から一気に若返り、歌手のジュリーこと沢田研二が務めた。当時アバンギャルドな存在だったザ・タイガース出身の沢田研二をイメージキャラクターに選び、「ブルーバード、お前の時代だ!」をキャッチコピーとし、日産の気迫が伝わる斬新なCMだった。CMで沢田研二は白いダブルブレストのスーツにボルサリーノ姿で、ブルーバードよりも目立っていた。

CM出演当時の沢田は「カサブランカ・ダンディ」や「TOKIO」で大ヒットを飛ばしていた超絶頂期。当時所属の事務所、表参道の裏手(港区北青山)にあった渡辺プロダクションの駐車場には、沢田の専用車として赤い910型ブルーバードがよく駐まっていた。それを目印に大勢の若い女性ファンが事務所ビル周辺を囲んで、沢田研二の出現を待っていたという懐かしい風景が思い出される。

そして、ヒット作910型は1983年10月にフルモデルチェンジを受け、7代目U11型に移行し、遂にブルーバードもFF化する。910型はブルーバードとして最後のFRスポーツセダンだったわけだ。

フルチェンジした「U11型」は前輪駆動化でシャシーはまったくの新設計であったのにも拘わらず、スタイリングは910型のイメージをそのまま引きずっていた。冒頭で記した、新型車設計で明確なポリシーを打ち出せない日産車のモデルチェンジの常套(悪癖)ともいえる迷走が、またしても始まる。

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