【旧車】ランチア・ストラトスHF ストラダーレ│ランチア 自動車史に残る、ラリーに勝利するためだけに開発されたスーパーモデル

【旧車】ランチア・ストラトスHF ストラダーレ│ランチア 自動車史に残る、ラリーに勝利するためだけに開発されたスーパーモデル


Photo by Diego440

■ラリーを制するために成層圏から飛来した名車
・モデル名 :ランチア・ストラトスHFストラダーレ/Lancia STRATOS HF Stradale
・世代/型式:1974年/-
・メーカー名:ランチア(伊)
・搭載エンジン:V型6気筒DOHC型 ボア×ストローク92.5×60.0mm 2418cc
・最高出力 :190ps/7000rpm
・最大トルク:22.9kg.m/4000rpm
・トランスミッション:5速マニュアル(フロアシフト式)
・サスペンション:前ダブルウイッシュボーン独立+後マクファーソンストラット独立
・ボディサイズ:全長×全幅×全高3710×1750×1115mm
・タイヤサイズ:205/70VR14 ・ホイールベース:2180mm
・車両重量 :980kg
・販売時期 :1974
・生産台数 :492台

1974年、WRC(世界ラリー選手権)で、その後3年間にわたってラリーシーンを席巻するクルマが登場する。当時、折からのスーパーカーブームに沸いていた日本で、「サーキットの狼」の主人公・風吹裕矢の3代目のマシンとして登場する「ランチア・ストラトス」だ。しかし、ストラトスは決してスーパーカーではない。WRCで勝つことを義務づけられて開発されたシングルパーパス・マシンである。

カーレースを席巻したランチア

ランチアという自動車メーカーは、第二次大戦以前からF1-GPほかの自動車レースで活躍するブランドとして確立していた。戦後の1953年8月には、完成したばかりのレーシングモデル「D24」でニュルブルクリンク1000kmレースに出場、デビュー・ウィンを飾る。続く、カレラ・パナメリカーナでは表彰台を独占した。

翌年もランチアは快進撃を続けるも、1955年10月にワークスとしてのレース活動から撤退。市販車の生産に専念する。しかし、プロダクションモデルがプライベートチームの手によってサーキットレースやラリーシーンで活躍した。

1963年2月、ランチア乗りで腕自慢のドライバーが集結し「HFスクアドラ・コルセ」というチームができた。このチームはランチアのセミワークスとなり、製作したホモロゲーションマシンが、市販車ベースのランチア・フルビア・クーペHFだ。1966年2月に実戦投入されフラワー・ラリーで早速勝利する。そこから、ランチア・ラリーの歴史が始まる。フルビアは強かったが、年々激化するパワー競争で、その戦闘力は相対的に低下する。

ランチア・チームには、単に強大なパワーだけでなく、高い運動性能と軽量コンパクトなラリーマシンが必要だった。そこで計画されたのが「ストラトス」である。1969年にフィアット傘下に収まったことで、開発資金は比較的潤沢だった。

開発の基本は軽量なミッドシップ2シーターというレーシングマシンともいえるレイアウトで、グループ4のレギュレーション400台を見据えて開発された。ホモロゲーションを得るため500台を市販する計画で臨んだ。

ベルトーネ・デザインの「ストラトス・ゼロ」から始まったマシン製作

ストラトスは1970年のトリノ・ショーで世界初公開された。ベルトーネがデザインしたショーモデル「ストラトス・ゼロ」だ。そのストラトスをランチアが共同開発すると決め、翌1971年のトリノ・ショーに展示した。そして、ラリーに参戦すると宣言したのだ。

そこからストラトスの開発は急ピッチで進む。設計・開発はランチアの技術責任者、ウーゴ・ゴッバードだったが、現場はスポーツ部門の技術者で後にフェラーリF40も手がけるニコラ・マテラッティだった。そして、その配下に素晴らしい技術者やコンサルタントが大勢集結したという。

フェラーリ製、V6ディーノ・ユニットを選択

パワーユニットの選択もHFストラトス誕生の物語において重要なエピソードとなる。当初はプロトタイプ「ゼロ」と同様のフルビアHF用ランチア製1.6リッター4気筒を採用する予定だったが、シャシーのキャパシティに対して非力であり、ラリーシーンでの決定的な戦闘力を得るために、さらに強力な動力性能が求められた。そこで、シトロエンSM用に開発したマセラティ製V型6気筒など複数のエンジンが検討され、実験に供したという。そして、最終的に決まったのは、フェラーリがディーノ246GTのために開発し、フィアットが生産していた2418cc・65度V型6気筒のディーノ・エンジンだった。

これは、ラリー用マシンの基本性能であるコンパクトさ、相性のよさに加えて、フェラーリがフィアット傘下にあったことも大きなポイントだった。
当初、フェラーリの総帥、エンツォ・フェラーリは、このエンジン供給を渋っていたとされている。が、ベルトーネらが説得に入って、なんとか供給に漕ぎつけたという逸話も残る。

Photo by Tony Harrison

そして完成した「HFストラトス」は、モノコック構造にプレスした鋼板製ボックス型サブフレームを組み合わせた特異なシャシーだった。そこにディーノ用のV6エンジンを横置き搭載、ホイールベースは僅かに2180mm、非常に小さなボディとなった。フルモノコックとしないでサブフレーム構造としたのは、ラリーステージにおけるサービス性を重視したからだとされている。
FRP製のボディ製作は、もちろんカロッツェリア・ベルトーネであり、プロトタイプから、よりラリーの現場に対応したデザインへと抜本的な改変が行われた。

成層圏「Stratosfera」から飛来した特異なプロポーション

1972年、ストラトスは再びトリノ・ショーで展示される。完成したマシンは当時のラリーカーとして破格な、そして特異なプロポーションだった。その名は、イタリア語で“成層圏”を意味するStratosferaからの造語だが、まさに成層圏から飛来したかのようなスタイルは、ラリーファンの度肝を抜いた。そして、このクルマでWRC(世界ラリー選手権)を奪取するために開発したというチーム・ランチアの言葉を信じる者はいなかった。

そして量産試作車ともいえるモデルが1973年に登場する。そのスタイルは、後のカタログモデルとほとんど変わらず、ルーフスポイラーとリアスポイラーが無い、素の状態だった。

Photo by tennen-gas

開発と並行して実戦にも投入する。ホモロゲーションが取得できていない段階で、プロトタイプクラスでの参戦だ。デビュー戦は1972年11月のツール・ド・コルスだった。緒戦はリタイヤという苦渋をなめる。しかし、以降積極的に実戦参加を行い、マシンを煮詰め戦闘力を高めていく。ストラトスがラリーカーとして初優勝を飾るのは、1973年4月のファイアストーン・ラリーだった。

遂に登場する奇妙なディメンションの「ストラトス・ストラダーレ」

1974年、遂にカタログモデルとしてストラトス・ストラダーレ(市販車)が発売された。ホモロゲーション取得に必要な装備を加え、ルーフスポイラーとリアスポイラーが装着されたモデルとなった。ボディ寸法は全長×全幅×全高3710×1750×1115mm、ホイールベース2180mmというディメンションを得た。例えようもないほど奇妙な縦横比で、全長はトヨタ・ヴィッツの3945mmよりも200mm以上短く、ホイールベースは軽スポーツのホンダS660のホイールベース寸法2285mmよりも100mm以上短い。しかし、車幅は完全な3ナンバーサイズだ。異常に短く、低く、幅広いクルマなのだ。

この一種異様ともいえるスタイルは、実はラリーという実戦を見据えた造形だった。短いホイールベースは鋭い回頭性を得るためであり、広いトレッドを収める車幅はコーナリング性能を高める目的だ。切り詰められた前後オーバーハングは、余計な重量による慣性モーメントを減らすためだった。また、極端にカーブしたフロントスクリーンは、デザイン性だけでなく、操縦性に影響を与えるひとつの要素だった。運転席に身体を収めて気付くのだが、左右に湾曲したウインドウと細いAピラーのおかげで視界がすこぶる良いのだ。

足回りはフロントがダブルウィッシュボーン式+コイル。リアはマクファーソンストラット+コイルで常識的なレイアウトだが、前後にスタビライザーを装着し、加えてサスにはアジャスタブル機能を装備して、路面やドライバーの要求に応じてセッティングできた。
搭載エンジンは前述のようにV型6気筒ディーノ・エンジンだが、ディーノ246GTとはチューンが違い、ラリーシーンを考慮して低速側を強化した。出力は5ps下がったが、発生回転数は600rpm低い。また、最大トルクは同じだが発生回転数を5500rpmから4000rpmに下げ、低速トルクの充実を図った。

目論見どおりWRCを席捲するストラトスだが……

こうして登場したストラトスはグループ4のホモロゲーションを獲得。1970年代のWRCで、大活躍する。1974年から1976年まで3年連続でコンストラクターズ・タイトルを奪取する。
ラリーフィールドでの活躍とは裏腹に、限定生産のストラトスがラリーで勝利を続けても、ロードカーの販売に直接結び付いていない、と判断した親会社フィアットは、翌年のWRC参戦を中止させる。1977年からは、フィアットが製作したフィアット131アバルト・ラリーを送り込む。ワークス・ランチアの撤退である。

親会社の政治力で姿を消したワークス・ランチア・ストラトスだが、その後はプライベーターの手によって数々のラリーで活躍。ワークス撤退から4年後の1981年、ツール・ド・コルスで勝利するなど、そのポテンシャルの高さを示した。ラリーに勝つために登場したストラトスは、その開発ストーリーもあり、現在でも熱心なエンスージアストの高い評価を得ている。

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