
ニッポンの台所を磨き続けて80余年!
ご多聞にもれずクレンザーも舶来のものでありますが、研磨剤をつかってこびりついた汚れを磨く、という行為自体は日本でも一般的でした。砂や火山灰を原料とする「磨き砂」をタワシにつけて鍋かまの焦げ付きをゴシゴシ落とす、というのは台所を守るご婦人たちの営みのひとつ。
難点は、どうしてもキズがついてしまうこと。汚れの落ちの度合いとキズ付き具合や摩耗はトレードオフ。良い加減でとどめないといけませんでした。
そこに登場したのが「クレンザー」。磨き砂とおなじく火山灰などのケイ酸鉱物なのですが、粒子がわずか数十ミクロンと小さく、さらに界面活性剤をふくむことから洗浄力が一層アップ!という優れ物。
大正時代にアメリカ製クレンザーが輸入されるようになると、ここに目を付けたのがのちの「カネヨ」の創業者となる鈴木治作さんでした。治作さんは一念発起、雑貨商をやめて1933(昭和8)年に「鈴木山陽堂」を興します。

クレンザーが本格的に売れるようになったのは、戦後の高度成長期になってからだそうです。というのも、食生活が欧米化し、油汚れに強い洗剤が必要になったから。
ただ、原材料がありふれたものですから参入企業も多く、最盛期には100種類以上ものクレンザーが世の中に出回っていたとういことです。
そんななかでカネヨが確固たる地位を築くことができたのは、販売網づくりや宣伝・販促活動に大いに力を注いだから。このハイカラなご婦人のパッケージもイメージづくりに大いに貢献したことでしょうね。そうそう、付けくわえると戦前のパッケージは「かっぽうぎ」姿のイラストでした。
ちなみに、この赤いパッケージは通称「赤函」で、1957(昭和32)年には、より傷が付きにくいよう改良された「青函」も発売されています。
取材協力:「昭和レトロ商品博物館」様