【旧車】ミゼット│ダイハツ 「街のヘリコプター」と呼ばれた横丁の軽三輪

【旧車】ミゼット│ダイハツ 「街のヘリコプター」と呼ばれた横丁の軽三輪


トヨタ博物館所蔵のダイハツ・ミゼット(MP5)、1962年製

■大型化したオート三輪とバイク運搬の隙間を埋める、大ヒット軽三輪車!
・モデル名:ダイハツ・ミゼット
・世代/形式:1962年/MP5型
・メーカー名:ダイハツ工業
・搭載エンジン:ボア×ストローク72.0×75.0mm
・ZD型305cc・強制空冷2サイクル単気筒最高出力:12ps/4500rpm
・最大トルク:2.4kg.m/2400rpm
・トランスミッション: 3速マニュアル(フロアシフト式)
・サスペンション:前テレスコピック・オレオ/後ルーフリジット
・ボディサイズ:全長×全幅×全高2970×1295×1455mm
・ホイールベース:1905mm
・タイヤ&ホイール:前5.00-9 4PR/後5.00-9 6PR+スチールホイール
・車両重量:415kg
・最大積載量:350kg
・生産台数:31万6891台(国内)/1万9382台(輸出)

戦後、1950年代半ばまでの日本経済復興を支えた街の立役者であり、街を駆け抜けた働くクルマの代表は小型オート三輪車だった。

いわゆるオート三輪は、1940年代後半から、街の小さな荷物を運ぶ物流の一翼を担っていた。なかでも1950年代の朝鮮戦争特需以降、日本経済は活気に溢れ、その物流を支えるために小型自動車規格に収まるオート三輪が多くのメーカーが発売し、普及したのである。ダイハツもオート三輪メーカーとして、その一翼を担っていた。ところが、1952年頃からオート三輪よりもずっと小さい軽自動車規格に収まる軽三輪車が新興の中小メーカーが製造し始めていた。

戦後を支えたオート三輪からが小型トラックに駆逐される

トヨタ博物館所蔵のダイハツ・ミゼット(MP5)、1962年製

ダイハツは小さな軽オート三輪に着目してはいたが、朝鮮戦争特需による好景気、いわゆる神武景気で通常クラスのオート三輪需要が高く、ダイハツを含めた既存の大手メーカーは軽三輪へ参入することは無かった。まだ、軽オート三輪の市場は中小メーカーに占有されていたのだ。

ところが1953年、朝鮮戦争が終わり、景気が後退、不況が日本経済を襲う。オート三輪業界でも「くろがね」の日本内燃機、「アキツ」の明和自動車といった中堅企業が経営難に陥り、上位メーカーも厳しい状況に直面する。
一方で1954年、トヨタ自動車が廉価な排気量1リッターエンジン搭載の1トン積み小型四輪トラック「トヨペット・SKB」(後のトヨエース)を発売。このオート三輪よりもやや価格は高いが、走行性能と積載性、そしてクオリティの高いこの小型トラックは、それまでのオート三輪を凌駕する。小型貨物車業界におけるオート三輪トラックのシェア低下が始まる。1957年、遂に四輪トラックが三輪トラックシェアをシェアで上回るようになった。

オート三輪は昭和初期にダイハツ、東洋工業(マツダ)の二大巨頭が一貫生産を開始。以来、小型物流を担い、戦後は日本経済のまさに牽引車として働いた。しかしその威光は、小型四輪トラックに駆逐されることとなる。

より本格的な設計だが、廉価で手軽な軽三輪トラックの登場

そこで、それまでオート三輪で成功していたダイハツなどは、三輪トラックを軽自動車で実現しようと考えた。ダイハツの軽三輪トラック構想は1952年にスタート、翌53年には基本コンセプトが出来上がり、徹底した軽量化と簡素化でコストダウンを狙った。同時にエンジンの開発・試作がスタートした。

軽三輪貨物車構想から5年目の1957年、ダイハツが満を持して発売した新型「ダイハツ・ミゼット」は、自転車やオートバイでは積めない荷物を運ぶためオート三輪よりも小さく、バイクよりも積載性に優れた軽貨物車だった。加えて専用設計された高い品質の乗り物で、低廉な価格も特徴だった。同時にその頃、比較的簡単に取得できた“軽免許”で運転でき、街の酒屋や米屋などの商店オーナーの配送運搬需要を掘り起こし、瞬く間に庶民の生活に浸透した。
Midgetは英語で「超小型のもの」という意味の単語で、小型なクルマという想いが込められている。

周到なマーケティング戦略が奏功して「街のヘリコプター」はヒット作に

トヨタ博物館所蔵のダイハツ・ミゼット(MP5)、1962年製

ダイハツ・ミゼットの本格的な生産は1958年1月からスタートした。発表当時の月間生産計画では500台だったが、ピーク時の1960年には月間生産8500台をマークした。
ダイハツはプロジェクトをスタートさせた頃から市場調査を行ない、時代が求めている庶民のための働くクルマ像を予測して、1956年にプロトタイプを公開していた。同時に販売網の整備を実施した周到で綿密な準備が功を奏した結果といえるだろう。

さらにダイハツはミゼットのために新たに製造会社を設立した。別会社の旭工業である。同社は、戦前に川西航空機として飛行機製造に携わっていたが、戦後は前述したように明和自動車工業としてオート三輪の「アキツ号」などを製造した。が、1955年に経営難から工場は閉鎖。ダイハツは三和銀行との折半出資でその工場を譲り受け、ミゼットの生産を開始した。

DKA型と呼ばれる初代モデルは、1人乗りでドアもなく、屋根は幌製、そして、あたかもバイクのようなバーハンドルに249cc単気筒キック式スターターエンジンを搭載した。ポスターのキャッチフレーズは「街のヘリコプター」だった。そのベーシックモデルにセルモーターが付いたタイプがDK2型である。59年8月には、これにリアヒンジ式サイドドアがついたDSA型が加わり、ラインアップが拡充していく。バーハンドルタイプのミゼットの最大積載量は300kgだった。およそ大人4〜5人分、小さな三輪車としては破格の積載重量といえた。1969年に登場するトヨタから発売されたベストセラー商用バン「カローラ・バン」の積載量が400kgだったことをみても破格だったことが分かるというもの。

海外進出をも果たす「街のヘリコプター」

トヨタ博物館所蔵のダイハツ・ミゼット(MP5)、1962年製

超小型三輪車ミゼットは、対米進出も計画され、実際に輸出も行なわれた。対米輸出向けに企画されたMP型は、自動車らしい丸いステアリングを採用、2人乗りで1959年4月から生産を始めたMPA型だ。この丸ハンドルのミゼットを国内向けに投入したのが、59年10月発売のMP2型だ。しかも2カ月後の12月には、エンジン排気量を305ccに拡大したMP3型が登場する。60年5月には最大積載350kgとしたMP4型へ進化する。MP4型はレギュレターハンドルでサイドウインドウが昇降するように進化した。さらに、キャビンの屋根を幌からスチール製に換装し、荷台を100 mm延長・拡大したMP5型が62年9月にデビュー。
MP4型のエンジンを混合燃料方式から分離給油に改良。エクステリアもフェンダー一体型フロントノーズの形状、およびサイドベンチレーター、キャビン、室内、荷台などを大幅に変更・改良するなど、頻繁にマイナーチェンジを繰り返した。

MP5型になってスチール製ルーフを得たミゼットの走行性能はボディ剛性のアップに伴って飛躍的に向上したとされる。バーハンドル型のDKシリーズの「街のヘリコプター」は、「横丁からハイウェイまで」とキャッチフレーズも進化した。

軽三輪車ミゼットは、大型化したオート三輪とバイク運搬の隙間を埋める存在として、先に述べたように簡単に取得できた“軽免許”で運転でき、維持費の安さと好景気が後押しして大ヒット作となる。
ダイハツ製軽三輪の販売台数は、ミゼット発売の57年に271台、58年9683台、59年3万9212台、そして60年に8万6608台と販売台数がピークに達する。自動車市場規模が現在と大きく異なる未だ高度成長期「夜明け前」の日本で、驚くべき販売台数を記録したのだ。

前述したようにミゼットは米国をはじめとした海外にも進出した。800台の限定車だった左ハンドル仕様のMPA型ミゼットは米国で「トライモービル」と呼ばれ、自動車と言うよりも大工場などのなかでの小口運搬や連絡などに使われる経済車両として活躍。一部、宅配ピザ屋などのデリバリー車両で使われた。また、東南アジアではタクシーとしての需要に応える恰好で、タイに大量輸出され大部分が「トゥクトゥク」と呼ばれるタクシーとして活躍、ダイハツの海外進出の足がかりとなった。パキスタンでは、ノックダウン生産も行なわれた。タクシー用途に対応できたのは、積載300kgが効いた。ドライバーのほかに3名プラス荷物が確実に乗せられる自動車だった。

このミゼットの成功をライバルたちが黙って見ているはずはない。東洋工業(マツダ)は丸ハンドル・密閉キャブの「K360」を発売し、市場に参入。のみならず新三菱重工業、愛知機械、三井精鋼といった大手企業が競って軽三輪トラック市場に参入してきた。それ以前に参入していた中堅・中小の富士重工、ホープ自動車、三鷹富士産業などを含め軽三輪市場は活況かつ戦国時代を呈する。

16年という長いモデルライフだったミゼット

軽三輪トラックのパイオニアたるダイハツは、前述したとおりミゼットに細かな改良を加え続け、1972年まで生産され、同年12月に軽四輪トラックの「ハイゼット」にその座を譲り、16年間のモデルライフを終えた。総生産台数は31万6891台(国内)/1万9382台(輸出)だとされている。
ダイハツ・ミゼットは1990年公開、サザンオールスターズの桑田佳祐が初監督した映画「稲村ジェーン」に登場して人気が再沸騰した。映画から生まれた主題歌「真夏の果実」や挿入歌「希望の轍」「忘れられたBig Wave」もヒット作となった。

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