名波浩 ‐ ジュビロ磐田復活を託されたミスターレフティ

名波浩 ‐ ジュビロ磐田復活を託されたミスターレフティ

ファインダー越しにサッカー界を見つめてきたプロカメラマン今井恭司さんの蔵出し写真と暖かいコラム。今回は「名波浩 ‐ ジュビロ磐田復活を託されたミスターレフティ」をお届けします。


1997年9月28日ワールドカップフランス大会アジア地区最終予選韓国戦の名波浩選手

1997年9月28日ワールドカップフランス大会アジア地区最終予選韓国戦の名波浩選手

この写真は1997年9月28日、国立競技場で行われたFIFAワールドカップフランス大会アジア地区最終予選、韓国戦にフル出場した名波浩選手です。

日本を初めてワールドカップに導いた「10番」

FIFAワールドカップ初出場をめざす加茂周監督率いる日本代表は、1勝1分で迎えたこのホームでの韓国戦で1対2の逆転負けを喫しました。このあと、まるでジェットコースターのような展開のアジア地区最終予選を経たあと、第3代表決定戦でイランとの死闘に勝利して、悲願のワールドカップ初出場を果たしました。「10番」を背負った名波浩選手は、アジア地区1次予選からの全15試合にスタメンで出場し、名実ともに日本代表の中心選手として活躍しました。

今年のJリーグはJ1残留の勝ち点のボーダーラインが例年になくあがってしまったので、最終的に東京ヴェルディとのJ1参入プレーオフ決定戦にまわってしまったジュビロ磐田のファンは、最後までハラハラドキドキのシーズンをおくったと思います。そのジュビロ磐田を率いる名波浩監督は、現役の時からそうなんだけど、非常によく考える人でした。選手時代のプレーの特徴は、周りがすごく良くみえているというのと、ボールコントロールの技術も特に優れていましたし、中盤からまるで七色のパスを前線に供給して、まさに日本代表の心臓部を担っていました。本当にレフティであそこまで高いスキルとテクニックをもった選手は、それまでの日本代表には存在しなかった。

1997年3月23日オマーン戦の名波浩選手

1997年3月23日オマーン戦の名波浩選手

バルセロナオリンピックは最終予選で敗退

だけど世代的にいうと、どちらかといえば名波世代は不遇の世代だったとも言えます。1992年バルセロナオリンピックアジア地区最終予選(名波選手の他、下川健一、名塚善寛、小村徳男、相馬直樹、池田伸康、原田武男、名良橋晃、澤登正朗、永井秀樹、三浦文丈、藤吉信次、神野卓哉らが参加)では、Jリーグ開幕を控えて日本中の期待を背負っての戦いでしたが、横山謙三監督率いるU-23日本代表は、1勝1分3敗で6カ国中5位の結果に終わり、メキシコ大会以来24年ぶりのオリンピック出場の夢は叶わなかった。そうなんですよ……あのへんからなんとなくそういうレッテルみたいなものを背負わされてしまった感があります。それこそあれがトントントーン!といっていれば、前園真聖さんや川口能活さんたちのアトランタオリンピック世代のように、もっともっとメディアで脚光を浴びた存在になったんじゃないでしょうか。当時はかなり期待されていただけに、ちょっとなあ……って落胆もとても大きかった。

いやでも、本当に名波選手のプレーは華麗でしたよね。状況も周りもよく見えていたし、ボールを保持した時の姿勢もよかったから、やっぱり写真の表情がいつもいいんですよ。だからなんか彼のプレーはいつ見ても楽しかったし、もっともっと上のレベルに行ってもよかった選手なんです。まあ、日本サッカー界悲願のワールドカップに連れて行ってくれた代表の中心選手だから、かなり上にいるわけではあるんですけど、それよりももっともっと上に行ってもよかった選手なんじゃないかな。だから要するに、めぐり合わせというか、同時代に自分の周りにどれだけプレースタイルがフィットする選手たちや、サッカー観を共有できる指導者がいるかっていうのは、とても大事なことですね。

1997年9月7日ウズベキスタン戦の名波浩選手

1997年9月7日ウズベキスタン戦の名波浩選手

ワールドカップフランス大会以後

この間の藤田俊哉選手の時もそうだったけど、1998年ワールドカップフランス大会に出場して、2000年のAFCアジアカップレバノン大会を制覇した後のトルシエ監督時代には、膝のケガの影響もあってだんだんと出番が少なくなってしまった。なんというか、トルシエ監督はちょっと変わりモノだったから、自分より目立つモノを良しとしないところがあったし、自分と異なるやり方や自分のいうことを聞かないのはもう全然ダメっていう感じもあった。やはり経験的にいって、日本的なスタイルや考え方を尊重しないで軽視する人たちはあまり印象は良くないですね。実績のある外国人指導者でも、それぞれの文化や特徴をリスペクトしない人たちは僕はダメなんじゃないかなと思う。

1997年10月4日カザフスタン戦の名波浩選手

1997年10月4日カザフスタン戦の名波浩選手

あのころ、ラモスが抜けた後の「10番」は名波だ!って感じだったんだけど、名波ほどの選手にしては国際Aマッチ出場が67試合なのは少ないくらい。イメージ的には100試合以上出場していてもまったく不思議じゃないんだけど、実際にはその半分くらいしか出ていない。2001年に2試合出て(3月24日サンドニでのフランス戦と4月25日コルドバでのスペイン戦)、2002年は0(ジーコ監督体制の10月16日国立競技場でのジャマイカ戦)で、招集されただけで出場はなかった。

いい選手って、やっぱり自分をしっかり持っていて、自分の主張を監督だろうとフロントだろうとちゃんと面と向かって正直にいえるというのがいい選手の条件だと思いますし、僕はいつも名波選手のことをすごくいい選手だと思っていました。ただ、そういうのを良しとしない監督と出会ってしまうと、どうしても衝突する恐れがでてきてしまう。やっていることも絶対に的を射ているし、なかなかいいこともいっているんだけど、上からは使いにくいって思われてしまうんでしょうか?あとやっぱり監督よりも選手の方が技量が上だったりすると、そういうところは少々煙たがられたりもする場合もある。藤田、名波だけでなく俊輔とかもそうだったじゃないですか?でもやっぱりこれだけの選手だったんだから、1998年のワールドカップだけじゃなく、もうちょっとなんかあればよかったんだけどなあ。

1997年10月11日ウズベキスタン戦の名波浩選手

1997年10月11日ウズベキスタン戦の名波浩選手

ジュビロ磐田復活への道のり

でも、いまは立場も変わって、ジュビロ磐田で監督をやっているから、なんとかやっぱり指導者としても花開いてくれたらなと思います。本当に今年は残留できてよかった。J1参入プレーオフ決定戦前は寝れなかったんじゃないかな。選手の時より監督やる方がつらいですからね。また違って意味での喜びもあるんでしょうけど。ジュビロ磐田が低迷して、J2に降格したとはいえ、よく2年でJ1に復帰させました。長い長い低迷期にはまってしまってもおかしくない状況だった。J2一年目はプレーオフでモンテディオ山形の山岸範宏選手にアディショナルタイムでやられてしまって……あれは神がかってたからね。

でも、J2二年目は優勝したアビスパ福岡と同勝ち点の2位でJ1昇格を果たした。戦力にあまり差がなくて、監督の戦術・戦略・采配がモノをいうJ2だから、チームを立て直す力は証明できたんじゃないかな。最近のJ2は厳しいからね。だから名波監督の力量はものすごく高いんじゃないかと思う。J1に復帰して、13位、6位ときて、2018年は名波監督自身もさらなる飛躍を期待していたはず。「2018年はジュビロ復活か?」って言われていたんだけど……だからケガ人が続出したとはいえ「えーなんでだ?」って一番思っているのはたぶん監督なのかもしれない。最終戦の川崎フロンターレ戦は最後の最後に崩れてしまったけど、なんとかプレーオフの東京ヴェルディ戦では持てる力を見せつけることができた。

1997年11月16日イラン戦後

1997年11月16日イラン戦後

名波選手が代表の時の印象深い試合となると、やはりFIFAワールドカップフランス大会アジア地区最終予選はすべての試合でキーになる選手でした。監督が加茂周さんから岡田武史さんに変って、これでやられたらもうオシマイって状況で、名波選手が先制点をあげたアウェーの韓国戦。ホームでは逆転でやられてしまって、先に韓国が出場を決めていたけど、そんなこといってもアウェーのソウルで韓国相手に勝つのは大変なことだった。途中から監督を引き受けて相当きつかった時に岡田監督を男にした試合だし、もう何度もあきらめかけていたところだったけど、名波選手は奇跡の立役者だった。

日本が生んだスーパースターのひとり

名波選手はジュビロ磐田でも日本代表でも結構親分肌だった。きっとみんなが慕ってくるからなんでしょうね。若手が彼に相談したりした時でも、ちゃんと答えを出してくれるんだと思うんです。藤田俊哉選手が割と我が道を行くタイプなのに比べると、意外と親分肌なのかな。来季2019年シーズンは強い磐田復活の礎を築いて、優勝も狙えるチームを作ってもらいたい。そういった意味でいうと、指導者として花道を作ってくれるといいかな。それだけの逸材ですし、間違いなく日本が生んだスーパースターのひとりだからね。この絵なんか見ても左のアウトかなんかでしょ?やっぱり技術が高かったですよね。

1997年10月26日アラブ首長国連邦戦の名波浩選手

1997年10月26日アラブ首長国連邦戦の名波浩選手

スタジオ・アウパ

ゴールデン横丁の仲間たち | 今井 恭司(いまい きょうじ)

https://goldenyokocho.jp/articles/671

世界中を飛び回り最前線で日本サッカーを見つめてきたイマイさん。蔵出し写真とトークをゴル横だけにお届けします。2017年8月1日、日本サッカー協会により「第14回日本サッカー殿堂」に掲額されることが決定しました(特別選考)。

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