柱谷哲二 ‐ ドーハ世代を率いた闘将

柱谷哲二 ‐ ドーハ世代を率いた闘将

ファインダー越しにサッカー界を見つめてきたプロカメラマン今井恭司さんの蔵出し写真と暖かいコラム。今回は「柱谷哲二 ‐ ドーハ世代を率いた闘将」をお届けします。。


1993年4月8日ワールドカップアメリカ大会アジア地区1次予選タイ戦の柱谷哲二選手

1993年4月8日ワールドカップアメリカ大会アジア地区1次予選タイ戦の柱谷哲二選手

この写真は1993年4月8日、神戸ユニバー記念競技場で行われたFIFAワールドカップアメリカ大会アジア地区1次予選のタイ戦にフル出場した柱谷哲二選手です。

4人の監督を支えた闘将

柱谷哲二選手は、1988年1月27日ドバイで行われたアラブ首長国連邦戦で国際Aマッチにデビューしました。この試合は、ソウルオリンピックアジア地区最終予選で中国に敗れて本大会出場を逃した石井義信監督の退任後、日本代表監督に就任した横山謙三監督の初戦で、柱谷選手(当時の所属は日産自動車)は85分に初ゴールを決めています。その後、ハンス・オフト監督(1992~1993)、パウロ・ロベルト・ファルカン監督(1994)、そして加茂周監督時代(1994~1997)の1995年10月28日デサントアディダスマッチのサウジアラビア戦まで、代表監督四代にわたって日本代表のキャプテンを務めました。まさに「闘将」の名にふさわしいキャプテンでした。

1988年9月13日ソ連オリンピック代表との親善試合での柱谷哲二選手(前列右端)

1988年9月13日ソ連オリンピック代表との親善試合での柱谷哲二選手(前列右端)

兄の幸一と哲二の柱谷兄弟

戸田和幸さんのエピソードと似てますが、国内外の試合に取材に行くと、柱谷さんのお父さんと何度もお会いしたことがありました。お父さんはサッカー関係者ではないけど、よく応援に来ていたんです。柱谷幸一、哲二兄弟のお父さんということで、見た目もそっくりで、本当にいいお父さんなんですよ。遠征先のホテルで、ひとりで朝食を食べたりしてたから、ご一緒にお話しする機会もあった。その頃、哲二さんの方が日本代表キャプテンだったから、「すごいですよね、これだけ戦う気持ちが強い息子さんというのは!」って言うと、兄貴の幸一さんの方が数倍すごかったんだって。もう小さい時から兄弟喧嘩やなんかやったって絶対兄貴には叶わなかった、と。たぶん柱谷家の負けず嫌いっていうのは伝統というか、血なんでしょうね。兄の幸一さんはあんまりそういう感じはしなかったけど、お父さんに言わせると兄貴の方がもうすごい負けず嫌いなんだって。哲二さんはずっとそれを見て育ってきたから、お兄さんの影響も受けたんでしょう。

1991年2月3日日本サッカーリーグ日産自動車対全日空戦での柱谷哲二選手

1991年2月3日日本サッカーリーグ日産自動車対全日空戦での柱谷哲二選手

どんな時でも選手たちを力強く鼓舞

柱谷哲二さんの現役時代は「闘将」のニックネームに相応しく、もう試合でも練習中でも四六時中負けず嫌いな気持ちを出していました。こんなこと言っちゃいけないんだけど、カズさんやラモスさんのように、技術的に特に秀でてるとまでは言えないですが、それでもやっぱりここまでのぼり詰めたのは、人一倍「負けず嫌い」な性格がそうさせたんじゃないかな。それに加えて、オフトさんに言わせると、柱谷選手のことを「お山の大将」っていうような表現もしていたんです。やはり個性派ぞろいの選手たちを束ねる特別な力があるんでしょうね。要は、自分がミスしようがなにしようが、どんな時でも選手たちを力強く鼓舞することができるんです。「おまえ、なにやってんだ!」って。そうするとみんなピシッてなるじゃないですか。だからオフトさんは「テツはすごく大事な選手。チームをまとめるにはこういう選手が必要だ」と言ってました。本人もその辺の役割はすごく理解していました。

1991年10月20日日本サッカーリーグ日産自動車対松下電器戦での柱谷哲二選手

1991年10月20日日本サッカーリーグ日産自動車対松下電器戦での柱谷哲二選手

もうひとつ、タイプの違う監督だけど、読売サッカークラブ、のちのヴェルディ川崎に在籍していた頃は、ネルシーニョ監督の影響を一番受けていた。「いまはサッカーがすごくわかってきて、すごく面白いし、どんな相手がきても全然怖くない」って当時インタビューした時に話してくれた。それはやっぱり、技術だけではなくて、オフトさんとかネルシーニョさんのような優れた監督たちから影響を受けて、相手がこう来たらこっちはどう動くべきかっていうような対応力とか、実戦的な駆け引きを自分なりに消化していったんだと思います。

たぶんいい親御さんとか、いい兄弟とか、いい指導者とか、その都度出会ってきた人たちからいい影響を受けて、ここまで来たんじゃないかな。ある意味「技術」は「センス」だから、どんなに一生懸命やってもどうにもならないところがあると思う。でも、それを上回るいろんな意味での「強さ」を兼ね備えていたのが哲ちゃんなんじゃないかな。

1992年11月1日AFCアジアカップ北朝鮮戦での柱谷哲二選手

1992年11月1日AFCアジアカップ北朝鮮戦での柱谷哲二選手

2018/11/7

スタジオ・アウパ

ゴールデン横丁の仲間たち | 今井 恭司(いまい きょうじ)

https://goldenyokocho.jp/articles/671

世界中を飛び回り最前線で日本サッカーを見つめてきたイマイさん。蔵出し写真とトークをゴル横だけにお届けします。2017年8月1日、日本サッカー協会により「第14回日本サッカー殿堂」に掲額されることが決定しました(特別選考)。

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